2024年12月9日(月)

イノベーションの風を読む

2017年8月10日

 豊臣秀吉が天下を統一した頃に長谷川等伯によって描かれた『松林図』は、日本の水墨画の最高傑作といわれている。これは後に屏風に仕立てられ、現在は東京国立博物館で国宝として保管されている。そして江戸時代の琳派の雄、尾形光琳作の金地着色、6曲1双の『群鶴図屏風』は、アメリカのフリーア美術館が所蔵している。

 上野の東京国立博物館は明治5年(1872年)に創設された。その「日本を中心に広く東洋諸地域にわたる文化財を収集・保管して公衆の観覧に供する」ための(現存する)日本最古の博物館で、最新のデジタル技術を駆使して、この二双の屏風を「公衆の観覧に供する」新しい試みが行われている。

 『松林図屏風』は、展示室に敷かれた畳の上に置かれている。訪れた人々は、靴を脱いで座ったり寝転んだりしながら、屏風を囲む半円形の大型スクリーンに映し出される映像を楽しんでいる。6分ほどの映像は、これも等伯の『瀟湘八景図屏風』をイメージした松林の四季の移り変わりを、その風景のなかを飛ぶカラスの目線で体験することができる。海辺の風や匂いまでも感じられる演出がされているが、中国の湖南省の瀟湘(しょうしょう)には海はない。そこは等伯の出身地の能登七尾の松林なのかもしれない。

 『群鶴図屏風』が展示されている部屋に入ると、大きなスクリーンで鶴の群が羽ばたき地面に降り立つ。鶴は見る人の動きによって、集まってきたりこちらを向いたりする。そして、群が翔び去る先にある金屏風には、見る角度によって金の照り返しの具合が変わって、そこに描かれた鶴たちが動いて見えるように照明があたっている。

 当然ながら、これらの屏風はいずれも複製物だ。国宝や海外の美術館の所蔵品を、このようにガラスケースなしで展示することはありえない。しかし、最新のデジタル技術によって原本を撮影しプリントした高精細の複製画は、専門家が1.5メートルの距離から見ても本物と見分けることが難しい(後出の松嶋氏)という。

 これらの演出は、これまでの博物館・美術館のいわゆるキュレーションとは明らかに異なっている。その狙いを、展示を企画した平常展調整室長の松嶋雅人氏と、博物館教育課長の小林牧氏に聞いた。

頭の中の世界、物語の世界が絵になっている

 松嶋室長は「日本画はリアリズムではなく、頭の中の世界、物語の世界が絵になっている」と言う。

 「その世界を、作品の選び方、並べ方だけで理解してもらうことは難しい。視覚的に音響的に感情移入をしやすくして、自然に身にしみてくるような形にして体験してもらおうと考えた」

 もともと松林図は、ある建物のひとつの部屋の壁面に描かれ左右に広がっていた。その一面が屏風に仕立てられたという。屏風は道具として、貴族など一部の人々の生活の中で使われていた。松嶋室長は、「それを西洋文明の価値観で、正対して素晴らしい芸術をゆっくり鑑賞する。本来の日本の文化というのは、そういうものではないのではないか」と投げかける。

 「松林図は日本の絵画の中でも突出したクオリティーを持った作品なので、その本来の姿、本来の意味とかをサジェスチョンしようとするとき、ケースに入っていないものを畳の上で見る、触れるぐらいの距離で見るとき、どんなふうに感じてもらえるかということを考えた」

 「松林図に感情移入することで松林の中に一体化して、海辺の強い風や匂いなどを感じることができる。しかしそれは表面的であって、もっと深い意義や意味とかがある。それを映像として足してあげることによって、それを体験した後で何かを感じる。そして展示ケースの他の作品を見たときに、日本画や水墨画などを鑑賞するときの感覚や見方が深まるのではないか」

 複製画とはいえ、文化財に映像を重ねて写したり、演出のための照明をあてたりすることには否定的な意見もあるようだ。しかし、松嶋室長は「議論が起きるきっかけになればいい。先鋭的に投げかけたほうが、いろいろな意見が出やすくなるだろう」と歓迎する。


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