2024年12月3日(火)

補講 北朝鮮入門

2017年10月12日

 金正恩(キム・ジョンウン)委員長の妹である金与正(キム・ヨジョン)氏が、政治局候補委員(日本メディアは「政治局員候補」と訳している)に抜擢された。10月7日に開かれた朝鮮労働党中央委員会第7期第2回全員会議(総会)での決定だ。金与正氏の両親は、金正恩氏と同じ金正日(キム・ジョンイル)総書記と高容姫(コ・ヨンヒ)氏=ともに故人。1987年9月生まれで30歳になったばかりといわれる若い女性が、政治局常務委員5人、その他の政治局委員(日本メディアでは「政治局員」)十数人に続く候補委員になったのは異例中の異例である。

金正恩委員長の妹である金与正氏
(写真:ロイター/アフロ)

 金与正氏が公の場に初めて出てきたのは、2011年12月に父の金正日氏が死去した時だ。後継者として葬儀を取り仕切る金正恩氏に付き従うように立つ若い女性の姿が、外部の観察者の目を引いた。その後、大規模行事の際に金正恩氏を補佐するかのように立ち回る姿が朝鮮中央テレビの映像に映り込むなどしていた。

 14年3月9日の最高人民会議代議員選挙の際、金正恩氏に同行した「党中央委員会の責任幹部」の一人として初めて公式報道に登場。『労働新聞』の報道などから11月に「党副部長」であることが判明した。金正恩氏の演出をプロデュースする役割を担っているとみられており、思想宣伝などを担当する重要部署である党宣伝扇動部の副部長になったという情報が伝えられた。16年5月に党中央委員に選出されたばかりで、1年5カ月でさらに1段階上に上がったことになる。

子供時代をともにスイスで過ごした兄妹の信頼関係

 北朝鮮では表舞台に姿を見せないまま最高指導者の側近として活動する幹部もいるが、金与正氏については表舞台で活躍させるという判断がなされたようだ。ただ、実際には職位より重要なのが金正恩氏との距離感である。実妹である金与正氏の立ち居振る舞いからは、常務委員クラスの高級幹部を上回る存在感を容易に見て取れる。

 金与正氏については、藤本健二氏が2003年に出版した『金正日の料理人』(扶桑社)を契機に、その存在が広く知られるようになった。金与正氏と金正恩氏は90年代後半、スイスの首都ベルンで一緒に暮らし、現地の公立校に通った。

 筆者(澤田)が09年にスイスの首都ベルンで入手した学校の在籍記録や関係者の証言によると、金正恩氏は96年夏から01年1月までベルンに滞在していた。当初はベルン・インターナショナルスクールに入ったものの数カ月で退学。現地の公立小学校でドイツ語の補習授業を受けた後、98年8月からの新年度に隣接する中学校の7年生に編入し、00年末まで在籍した。一方、金与正氏は96年4月23日、半年あまり後に金正恩氏が転入してくる小学校のドイツ語補習クラスに入り、翌97年8月から小学3年生の正規クラスに移った。5年生を終える00年7月までは在籍記録が残っている。学校の記録では転出日が空欄になっているが、実際には6年生在学中の同年末ごろ帰国した。金与正氏はベルン滞在中、学校外で楽器とバレエのレッスンを受けていたという。二人とも北朝鮮大使館員の子供として偽名で登録され、入学手続きなどは北朝鮮大使館が行った。

 兄妹がベルンで過ごした期間は、ほぼ重なる。学校から徒歩5分程度のマンションに住み、物質的には何不自由ない生活だったが、当初は学校で言葉も通じず、心細かったはずだ。そうした子供時代を共有したことも、兄から絶対的な信頼を寄せられる背景にあるのだろう。

 金与正氏は政治にも強い関心を持っているとみられる。金正日氏は2001年に訪露した際、シベリア鉄道で特別列車に同乗したロシアのプリコフスキー元極東連邦管区大統領全権代表に対して金正恩氏か金与正氏を後継者に考えていると語ったという。プリコフスキー氏が「NHKスペシャル」(2012年5月13日放送)に対して証言した。証言によると、金正日氏は、長男正男(ジョンナム)、二男正哲(ジョンチョル)の両氏については政治に関心を持っていないと話していたそうだ。


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