オモロイ社長、オモロイ会社

2018年1月25日

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杉浦佳浩 (すぎうら・よしひろ)

代表世話人株式会社代表

三洋証券株式会社入社(昭和62年)。鹿児島支店にて勤務。地元中小企業、個人富裕層の開拓を実施。 日経平均最高値の2カ月前に退職。次に日本一給与が高いと噂の某電機メーカーに転職。埼玉県浦和にて、大手自動車メーカー、菓子メーカー、 部品メーカー等の主力工場を担当。 退職時は、職場全員から胴上げ。そして、某保険会社に20数年勤務後、平成26年末に退社。在社中は、営業職、マネジメント職を経験して、リテール営業推進、若手人財育成を中心に担当していた。 社外の活動も活発に行っていた。平成27年1月1日、代表世話人株式会社を設立。
同社代表取締役に就任。世話人業をスタート。

30歳で起業すると決めてベンチャーキャピタリストに

髙間舘さん

 事業家としても手腕を発揮する高間舘さんですが、ご自身の経歴についても中々興味深いものでした。

 学生時代、REIT市場の立ち上がりをきっかけにファンドビジネスに興味持ったそうです。当時は明確に起業ということはあまり無かったそうで、ファンドについて勉強していくうちに、不動産は、時代の山谷がかなりある、しかしベンチャーファンド、そのキャピタリストになれば、不動産のみならず、全方位、業界にとらわれること無く、自身でその時代を引っ張る業界を選択できると思ったこと、就職後のキャリア形成にも有利、展開も広いと考えベンチャーキャピタルに就職を決めたそうです。

 ベンチャーキャピタリストとしての7年間で投資した会社は9社へ11回の投資。おおよそ20億円程度。そこから5社が上場し、1社がM&Aとなる結果、66.6%がイグジットしたことになります。会社にもたらしたのは約10倍のリターン。10社投資して2社上場すれば優秀なキャピタリストと言われる中で、業界では相当の評価。若くしてこれほどの結果を出すことは滅多とないことです。

 投資した9社は、大学時代に考えていたとおり、業種に拘らず、メーカー、サービス、EC関連、WEB系、人材業、IT、企業ステージも、アーリー、ミドル、レイターとこちらも幅広い。経営者の資質で選ぶことをまず第一に考え、そこから、各ファクター(市場優位性、市場の拡大傾向、事業モデル等々)を見ていたそうです。

 キャピタリスト時代の仕事ぶりを振り返っていただくと、所属していた会社では異例だった社外取締役に就任し、投資先を絶対上場まで持っていくためにと会社に認めてもらい、半ば常勤の状態で、事業計画の策定、CFOの代行、上場申請書の作成と一線を超えたオーバーワークで上場を成し遂げた会社まで。その会社の上場記念パーティーでは、幹事の証券会社、監査法人等々の役員よりも先に、20代の髙間舘さんがトップで挨拶をすることに。同社の社長からは全体会議で「次のわが社の社長です」と公言されるくらいの信任を得ていたそうです。

 この上場をなし得た会社での成功が認められ、モデルケースとなって後輩が社外取締役に就任するケースも増えました。また、部門長しかプレゼンを許されなかった投資の可否を決定する投資委員会、『自分でプレゼンしたい!』と役員に直談判、これも担当者がプレゼンするルールに変わっていきました。当時、上司の言うことを聞かなかったこと申し訳ないと反省しながらも、そのブレない熱意で仕事に向かっていたことが今に役立っていると話します。

 8年間で出会った、投資した、起業家、経営者に会っていると、どんな逆境にもへこたれない、前向きな姿勢を見ていくに連れて、会社という御旗を掲げることに惹かれていったそうです。これだけの結果を出して、辞めずらくなかったですか? との問いに、「最後に手掛けた案件が上場承認されたタイミングで退職することにしました。投資先が成功したインセンティブ報酬を貰ってしまうと辞められなくなると思い、結果を出せたこともあり30歳で独立の道を選びました。有難いことにかなり引き止めて頂きましたが」と語ります。まさに有言実行かつ成果にコミットするサラリーマン時代だったと感じます。

 このように、サラリーマン時代から、経営者感覚を身に付け、どんな困難にであっても強靭なメンタルで乗り切り、事業のストロングポイントを見つけ、自社のみならず周りを巻き込みながら成長させて行く手腕。加えて、新たな住宅循環システムと国が打ち出し中古住宅市場が活況となる以前から時代の流れを読み事業を展開する先見性、30代半ばでありながらハイレベルの経営者であると感じました。上場も近々視野に入れながら事業を加速していくこれからも注目したいと思います。

  
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