ホアヒンで知った国王逝去
10月13日。パタヤからマイクロバスで長躯移動。日没後にマレー半島の付け根の東側の保養地ホアヒンに到着。ホアヒン・ビーチ沿いにタイ国王の離宮があり日本の葉山のような土地柄らしい。
例により数十軒の宿を片っ端から訪ね歩いて安宿を探す。数軒目の宿のTVでプミポン国王(ラーマ9世)の逝去を知った。二時間後に一泊250バーツ(≒750円)のゲストハウスにチェックイン。部屋は6人部屋で2段ベッドが3台並んでいる。欧米のバックパッカー向けに古い商家を改装したもので洒落た造りになっている。
ゲストハウスのロビーのTVでも国王の追悼番組一色であった。
服喪期間中はアルコール類販売禁止?
10月14日。マネージャーの女の子と翌日おしゃべりしていたら、「一週間分前払いするなら同じ料金で個室を提供します」とのオファー。同じ料金ならと即決して個室に移った。
ロビーのTVはやはり朝から国王追悼番組である。町を歩いてもどのTVも同じである。追悼番組を見ながら涙ぐんでいるお年寄りを何人か見かけた。やはり国王の生涯を伝える追悼番組をとおして、自分の人生を顧みているのであろうか。
金曜日の午前10時頃であるが休日のように町は静かである。どうも哀悼の意を表明するために営業を休止している店もあるようだ。コンビニでは服喪期間として3日間ビール等アルコール類販売休止とのことであった。入り口にタイ語で貼り紙がしてあった。
大きな個人商店の雑貨屋に入ると、国産ラム酒やウイスキーが並んでいたので試しに聞くと販売OKとのこと。大手チェーンのコンビニでは中央からの指示で一斉にアルコール類販売休止を実施しているが、個人商店ではオーナーの自由裁量のようだ。今後販売休止になるかもしれないので国産ウィスキーを1本備蓄用に購入。
後でフェイスブックを見たらバンコク滞在中の邦人女子がビールを買えないと嘆いていたので「個人商店では買えるかも知れないからnever give up! 」とコメントしておいた。
王位在任期間70年の重み
ゲストハウスに戻りロビーで追悼番組を見た。プミポン国王の生い立ちから晩年までの軌跡を紹介していた。国王が若いころに自動車事故で片方の目に障害を負ったことを初めて知った。それで色の濃い眼鏡を常用していたようだ。
また若いころからスポーツ好きで射撃やスキー、ヨット等をしていた映像もあった。米国で生まれスイスで育ったので、欧米のスポーツにも幼少期から親しんでいたのであろうか。
ネットで調べると第二次世界大戦でタイは仏領インドシナ(ベトナム)を占領した日本軍と同盟関係を結んで英国即ち連合国と敵対。すなわち枢軸国側の一員としてタイは連合国と戦った。敗戦後の1946年に即位した少年国王はまさに世界大戦後の混乱期からタイの国運を担ったわけである。
プミポン国王とジャズとミッキー・カーティス
10月15日。夕刻外出から戻るとゲストハウスのロビーで女子マネージャーがお茶を飲んでいた。静かなジャズが流れていた。彼女によるとプミポン国王が演奏しているCDとのこと。国王はCDの販売収益を慈善事業に寄付したという。彼女は追悼のためにジャズを流していたのだ。
プミポン国王がプロ顔負けのサックス奏者であったことは知られている。1970年頃日本のロックミュージックの草分けであるミッキー・カーティスがバンドを率いて東南アジアを演奏旅行したときのエピソードを思い出した。ミッキー・カーティスの伝記(影山民雄著『チュウチュウ・トレイン』1994年刊)で読んだことがあったのだ。
ある晩、ミッキー・カーティスはバンコクの一流ホテルのクラブでの演奏の直前に、ホテルの支配人から「アマチュアのサックス奏者から今晩の演奏に飛び入りで参加したいと申し入れがあった。彼はホテルの上得意なので是非了解してほしい」と無理矢理依頼された。
彼はバンド仲間に「どうせ物好きの素人だから下手でも我慢して一曲くらいお付き合いしようぜ」と嫌がるバンド仲間を説得。ショータイムが佳境に入ったころ、支配人に案内されて一人の背広を着た真面目そうな青年が舞台に上がってきた。
ミッキー・カーティスがジャズのスタンダードの曲を演奏しようと提案すると即座に青年は了解して演奏が始まった。青年のサックスが余りにも上手いので、ミッキー・カーティスと仲間たちは気をよくして青年と続けざまに数曲共演した。そして青年は丁寧にミッキーたちに礼を述べてから舞台を降りて自分のテーブルに戻っていった。
ショータイムが終わってからミッキーは青年のいるテーブルに行った。「あんたのサックスの腕は素人のままではもったいない。プロでもやっていけるから俺たちのバンドに参加して一緒にアジアで演奏旅行しないか。ところであんた普段はどんな仕事しているの?」とざっくばらんに聞いたところ、「すみません。オファーは大変光栄ですが、公務員をしているのでお休みが取れないのです」と礼儀正しく青年は答えた。
後で支配人から「国王は大変満足されました」と聞いてミッキー・カーティスは仰天したというエピソードである。国王のお人柄が偲ばれるエピソードである。