2024年12月23日(月)

古希バックパッカー海外放浪記

2017年12月24日

(2016.6.18.~9.14 89日間 総費用18万2000円〈航空券含む〉)

カフェを営む日本人妻リカさんの半生 

 (承前)リカさんは大学在学中から海外に頻繁に出かけ卒業後東京で少しOLをやってからロンドンへ。ロンドンでは日本企業でアルバイト。そして商社やメーカーの独身駐在員と合コン三昧。それからオーストラリアでワーキングホリデー。

レーの町の北にある由緒あるチベット仏教寺院の仏像。この寺院はソ連時代にモンゴルや中国領チベットと宗教交流していた。

 この頃から次第にヒッピー的旅行スタイルに。世界各地を周遊。世界各地でかなり男性にモテた様子で「やっぱりニッポン女性は海外ではブランドなんですね」とおっしゃる。それからタイで古式マッサージの資格を取り、その後インドを放浪しヨガ講師の資格を取得。

 リカさんの実家は港町。地元のお嬢様学校で中学・高校を過ごし大学進学のため上京。どうして海外を放浪するような女性になったのか。リカさんに聞くと「血筋なのかもしれない。なんか血の気の多い家系なんですよ」という。リカさんの少し長い家族の歴史を伺うと昭和現代史と破天荒な一族の生き方が見えてきた。

祖父は海商王、海外雄飛の快男児

レーの町の西の高台に聳える日蓮宗系の日本山妙法寺の仏塔

 港町で育った祖父は15歳のときに外国航路の客船にボーイとして乗り込み、そのまま海外へ。やがて船長となってニュージーランド、オーストラリア方面で貨物輸送に従事。太平洋戦争前には自分の船を所有してインドネシア・マレーシアのゴム・鉱物などの戦略物資を日本に輸送して財産を築く。当時祖父は海商王と呼ばれたらしい。

 祖父は40歳で20歳の売れっ子芸者と結婚。2人は三男一女をもうける。長男がリカさんの父である。すなわちリカさんは海商王の孫である。戦後も祖父は事業を拡大して実業家として成功。祖父は遊び好き派手好きで芸者を総揚げ、キャバレーのホステスを引き連れてどんちゃん騒ぎ。愛人・妾多数という発展ぶり。

レーの町の朝市

芸者上がりの祖母は派手好きのやり手

 祖父が亡くなると祖母が祖父の事業を継承。勝ち気で鉄火肌の祖母は取引先や銀行の信頼を得て事業は順調。ところが生来の派手好きが高じてデパートの外商部を呼びつけては高価な着物、帯、宝石、アクセサリーを買い付け、支払いは会社の裏金を充当するという公私混同ぶり。

 祖母の気風の良さは死ぬまで変わらず、入院しても看護婦さんたちに宝石やアクセサリーを気前よくあげるので病院でも人気者であった。リカさんがお見舞いに行くと祖母の特別室は若い看護婦さんたちの溜まり場になっていたという。

レーの町の北の高台の寺院の仏像。8月でもヒョウが降ってくる高地である。

父は学生時代から放蕩三昧の人生

 現在72歳のリカさんの父親も発展家である。京都の同志社大学で学ぶも放蕩三昧。遊興の借金の返済に芸者上がりの祖母が、現金を持参し急遽上京することも再三。祖母が高齢になったので、リカさんの父親が社長に就任。しかし父親は根っからの遊び好きで仕事に身が入らず、半年もしないうちにメインバンクや主要取引先からクレームが入った。

 結局かなりの金額のお金と引換えに若隠居を余儀なくされて、番頭が実質的に経営者となった。しかし後に、この番頭が会社の金を使い込んで最終的に事業は人手に渡ってしまった。しかし父親は生来楽天家で現在でも遊び人の粋な人生を楽しんでいる。

 父親の女遊びは祖父譲りで愛人・隠し子騒動など頻繁に事件がおこり一時期は近所に2人も縁の女性が住んでいたこともあったという。それどころかリカさん一家が一時的に窮乏したときには妾の家に一家が逆に居候したこともあったとか。

 今でもリカさんが偶に里帰りすると、父親がお洒落して颯爽と外車を運転して空港に出迎えに来るので、リカさんは父親の変わらぬ姿に安堵するという。

上の叔父はプレイボーイのプロボーラー

ダライラマの講話会に伝統民族衣装で参列するチベットの人々

 父親の上の弟は東京の私立大学に遊学。スポーツカーで通学する学内では有名なプレイボーイ。折からのボーリングブームに乗ってプロボーラーになった。女好きで3回結婚して現在の奥さんは4人目。正体不明のところがあり●●興業という怪しい会社の社長というが何を稼業としているのか身内も知らない。


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