2024年4月19日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2018年3月12日

 これは、モンゴルの事例からの全くの先生の類推(エビデンスはない)であるが、中国が米国の対ソ牽制優先の親中派に経済援助を依頼し、受けた米側は大平首相に依頼したのではないか。とすれば、中国は米国に感謝するが、日本には感謝しない、というモンゴルと同じ発想は十分ありうる話。なお、先生は、状況証拠から見て確度は相当高いと見ていると。

 高田はどう思うかという先生の問いかけに対し、私の回答は以下の通り。

  1. なるほど、そうであれば、これまでモヤモヤしていたものが、スッキリする。
  2. 多くの中国人とこれまで付き合ってきたが、こちらがしてあげたことに対しては、本当に一生忘れない、場合によっては後世にも語りづぐ義理堅い部分のある中国人のメンタリティーから言って、中国政府の対応は理解に苦しんでいた。「井戸を掘った人を忘れない」と言う諺は、建前だけなのか? 経済成長の要因を中国共産党だけの功績にしたいのか? 個人と政府は違うのか? そんな思いがよぎってきた。ただ、そうした背景があるのであるならば、心からの感謝をしないのも理解できる。

 仮にこれが本当だとすれば、ある意味残念なことではある。きっかけはアメリカからの依頼であったかもしれないが、当時の日本人は、過去の戦争に対する反省もあり、誠意を持って支援を行ったはずであるからだ。産業界も同様で、新日鉄の宝山製鉄所に対する支援も先人たちのそうした心意気があったと聞いている。また、国として、国民の税金を外国の支援に使うのであれば、政策としての費用対効果は考えてもらわないという気持ちもある。

 中国は、日本の経済援助について感謝しないと公に言っているわけではないが、日頃、中国政府もあまり積極的には触れないし、中国国内でもそもそもそうした事実があったことを知らない人も多い。最近でこそ、識者のブログなどで日本の経済援助が中国の経済発展にどれだけ寄与したかということを具体的な統計デーアを基に分析しているのを目にすることがあるが、中国政府から積極的な評価を聞いた覚えば私にはない。首相として国交正常化を行った田中角栄氏や民間人として日中関係の改善に尽力した岡崎嘉平太氏のような個人を評価、感謝する声はよく耳にするが。

 ただ、よくよく考えれば、私個人としては、どちらでも構わないと思っている。支援は、相手に感謝されることが目的ではなく、支援すること自体が目的と思うからだ。まして、日本が支援したから感謝しろというのはおこがましい話だ。仏教の教えであるお布施とはそういうことであろう。お布施と思えばいいではないか。日本の支援によって中国の経済の発展と人民の幸せに少しでの寄与したのであれば、それでいいのではないか。少なくとも、日本の支援が中国人民を不幸にしたのでなければそれでよし。

 紹興酒の熱燗を飲みながらそんな思いをねぐらせた。

  
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