2024年11月23日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2016年6月28日

 今月、カリフォルニア大学の中村修二博士を上海に招き、中国の起業家、技術開発者と対話形式の講演会を行った。私が中村博士に質問をする形でそれに対する博士の回答を受け、対話を行う形式である。質問の内容は主催者である中国人の起業家、研究開発者の意見を統合して作成した。私と先生は日本語で対話を行い、同時に私が中国語で通訳を兼ねる形であったので合計2時間、正味1時間の対話であったが、中国の聴衆たちは、博士の一つ一つの言葉に目を輝かせ、感動の連続であった。

 今回のテーマは、いかに革新的な研究開発を行うかということ。産業の高度化が求められる中国において、何が大事で必要なのかを議論した。

 私は、中村博士とはかれこれ10年近くのお付き合いで、何度となくお話をおうかがいし、日米中にまたがる社会、ビジネスに関わる問題につき自由に議論をさせていただいているが、今回はこれまで自分としても釈然としなかった部分もまとめて質問させていただき、一層先生のお考えに対する理解が深まり、納得、改めて感動した。

 以下、これまで書籍などで紹介されているポイントはできるだけ割愛して、今回特にキーポイントと思われる言葉のみを紹介いたしたい。

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 質問1 日亜化学工業(以下「日亜」という)において、当時の小川信雄社長からどのように青色発光ダイオードを開発するための5億円の予算を引き出したのか?

 回答

 ⒈ 日亜に入社後最初の10年は赤外、赤色発光ダイオードの開発を行った。

 ⒉ 当時日亜の主力製品である蛍光体は小川社長が開発したもので、小川社長は、これだけで今後の日亜を支えることは不可能と考え、当時流行りであった赤外、赤色発光ダイオードの開発を中村氏に指示した。

 ⒊ 当時の日亜は化学メーカーで、半導体に関する技術は全く有しておらず、また予算の関係から大学や他者との共同開発もできなかったので、中村氏は仕方なく、書籍、論文だけを読んで試行錯誤を繰り返した。製造設備を買う予算もないので、設備も自分で手作りで行った。

 ⒋ 苦労の甲斐があってこの間、3件の製品開発に成功したが、赤外、赤色発光ダイオードはすでに成熟した市場ということもあり、競合他者との競争に敗れて売り上げは一向に伸びなかった。

 ⒌ こうした中、日亜の社内では中村氏の責任を追及し辞職を求める声が強く、自分も一旦辞職を覚悟した。進退行き詰まり、小川社長にダメもとで、誰も開発に成功していない青色発光ダイオードの開発予算5億円と1年間のアメリカ留学をお願いした。断られると思ったが、ほんの2〜3分の会話でやってみろの回答。

 ⒍ 開発に成功した後に、なぜあの時自分に託したのかを小川社長に聞いたところ、以下の回答があった。それまで社内では多くの予算を使って新製品の開発を行ったが、製品化に成功したのは、中村氏の3件の製品のみであった。販売結果は芳しくなかったが、ゼロからスタートして新製品を開発できる能力を実績を持っているのは社内で中村氏一人であるので、中村氏に託すことにした。


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