質問2 米国から帰国後、十分な支援を得られず、青色発光ダイオードを開発したとのことであるが、そこまで情熱を傾けた原動力はなんであったのか?
回答
⒈ 1年間の米国留学で、米国では博士の学位を持っていないと研究者として認められないということを実感した。修士の学位では、テクニシャンとしてしか認めてもらえない。テクニシャンとは、研究者の指示に基づいて作業を行うだけの人のことで、そこに自分の発想を入れる余地はない立場。
⒉ 帰国後何としても博士の学位が欲しいと考えた。何としても、青色発光ダイオードの開発の中で、その学位を取得したい。青色発光ダイオードの研究で、リスクが高いとして誰も手をつけていなかった窒化ガリウムを使う方法が論文が少ない分、博士の学位も取りやすいと考えた。それがたまたま当たった、という意味で運が良かったとも言える。
⒊ 社内では、当時小川社長は会長となり一線を退き、引き続き冷遇されたが、一旦小川社長が承認した予算だけは使うことができた。社内で開発するなとも言われたが、無視して(大卒の新人一人を助手として使いながら)研究を続けた。この怒りをバネに研究を続けた面も確かにある。
質問 3 青色発光ダイオードの開発の成功の秘訣は何か?
回答
⒈ 赤外、赤色発光ダイオードを開発する10年間で、それまで他社が開発した成果を学びながら、発光ダイオードの製造のイロハ、ノウハウを完全に身につけたこと。
⒉ 設備も自製化していたので、午前中に反応装置の改造を行い、午後に実験をするということを1年間半継続できたこと。自製化していなければ、反応装置の改造を装置メーカに依頼することになり、改造に半年はかかることになるが、自分の場合は、半日で対応できたことにより、数百倍の時間的なメリットを確保することができた。
質問4 中国の企業が技術革新を行い、産業の高度化を行うために必要なことは。
回答
⒈ 中国はコピー大国と言われるが、開発の現場では、それが悪いこととは限らない。日本だって昔はコピーから始まった側面もある。
⒉ 知財の保護は社会の発展の基礎であり必須条件である。他人の技術をあたかも自分の技術のように盗用するのは悪であるが、研究開発の現場では、他人の技術を完全に再現、ある意味コピーできて、その先に真の創造、革新が生まれるものである。問題は、何も考えずにコピーするのではなく、自分の頭で考えながらコピーすること。
⒊ そういう自分も赤外、赤色発光ダイオードの時代は、ある意味コピー(再現)の時代であった。ただ、装置から全て自製しコピー(再現)をする過程でノウハウを蓄積した。
⒋ 中国には元気のいいベンチャー企業もたくさんあるので、そうした実践を続ければ、20年、30年後には中国人のノーベル賞受賞者が多く輩出する可能性が高い。
⒌ 産業の高度化という意味でしてはいけないことは、寿命が尽きようとしている大企業を政府の保護で延命させること。無理に延命させるのではなく、淘汰されるべきは淘汰され、その代わりに新しい企業が生まれてくる循環が望ましい。日本は、大企業を保護しすぎでその反面多くの可能性を持った企業がその力を活かせずにいる。日本と反対のことをすれば、技術で日本を超えることもあり得るかもしれない。
⒍ 知財の保護が大事と誰もがいうが、実態面で、発明者が保護されることが大事。日本では、多くの中小企業、ベンチャー企業が、大企業に技術を真似される事例があっても、訴訟で十分な補償を得られず、泣き寝入りしている。