タイのタクシン元首相が起訴されたことにつき、Economist誌6月22日号のコラムが、軍政と和解したはずの同元首相が起訴されたのは同元首相が政治活動を再開したとみられることに対する警告だろうと指摘し、さらなる問題は、前回の選挙で第1党になった前進党が解党される見込みであり、解党に抗議するデモが起きる可能性である、と書いている。要旨は次の通り。
王室に近い保守派と軍部は敵と見なした相手に不敬罪を用いることで悪名高いが、6月18日、タクシン元首相(2006年のクーデターで追放)は、王室を侮辱した容疑で正式に起訴された。タイ貢献党を率いた同元首相は長期間国外に亡命していた間も彼らの最大の敵だった。しかし、今回の起訴は23年5月の選挙の後、同元首相と保守派・軍部が裏取引をしたことを考えると、驚くべき出来事である。
23年の選挙で将軍達はうまく凌いでタイを支配し続けることを望んでいたが、タイ貢献党よりもリベラルで、徴兵制と不敬罪の廃止を主張する前進党が圧勝し、タイ貢献党は第2党、軍が後援する政党は第3党となった。結局、軍部が支配する上院が前進党の党首であるピタ氏の組閣を阻止し、代わりにタイ貢献党のセター氏が首相になった。
同氏は、実業家でタクシン元首相一族に近い。そして、23年8月にはタクシン元首相自身が亡命から帰国し、熱狂的な歓迎を受けたばかりでなく、汚職で長期間、刑務所に収監される代わりに豪華なバンコク病院に入院することが許され、数カ月後に退院した。こうして不倶戴天の敵だった既得権層(保守派と軍部)は彼の同盟者となったはずだった。
タクシン元首相がどのような取引をしたのかは明らかにされていない。しかし、元首相が起訴されたということは、彼がレッド・ラインを越えたことを意味する。
恐らく、既得権層は、彼が政治活動に復帰しようとしていると考えたのであろう。実際、元首相は、まるで選挙活動をしているかのようにタイ国内を回っていた。
他方、同じ6月18日、憲法裁判所は、タクシン元首相の盟友のセター首相に対する保守派の上院議員達による解任要求の訴えを受理した。とりあえず、タクシン元首相は保釈され、セター首相への尋問は延期されたことにより、直近の政治的危機は回避されたが、この出来事は、タクシン元首相とその支持者達に対して政治活動が許されていると思わないようにとの警告だった。