2024年4月23日(火)

メイドインニッポン漫遊録 「ひととき」より

2018年4月26日

メイドイン「靴下の町、広陵町」

 ということでワレワレが訪れたのは、奈良県の北西部に位置するまわりを田畑に囲まれたのどかな盆地の町、広陵町(こうりょうちょう)である。日本の靴下メーカーの工場の多くはアジアに拠点を移してしまったが、奈良県は靴下の生産量が日本一で、全国の4割を占める。なかでもここ広陵町は「靴下の町」として知られている。ロトトのソックスもこの町で作られているのだ。

 広陵町で靴下作りが始まった歴史は古く、明治43年(1910)、吉井泰治郎(たいじろう)という人物がアメリカ視察から靴下編機を持ち帰ったのがきっかけである。もともとこの地域は江戸時代より農家の副業として大和木綿や大和絣という織物が盛んだったが、時代とともに衰退していき、その代わりとなる産業として靴下の製造が広がっていったのである。

 「ですから広陵町では、靴下は編み物なのに〝靴下を織る〟と言うんですよ」

石井ダイスケさん(左)と創喜の5代目社長出張耕平さん(中)に話を聞く筆者

 そう話すのは石井ダイスケさん、36歳。

 ブランド設立は平成26年(2014)とまだ新しいが、「一生愛せる消耗品」を基本理念に掲げて、手の込んだソックスを次々と生み出しているロトトの若きデザイナーである。石井さんは広陵町のお隣、大和高田市で生まれ育った。ここも靴下の製造がさかんな町で、子どもの頃には、繁忙期になるとよく母親が靴下の出荷の手伝いをしていたという。

 ロトトのソックス作りは、デザイナーの石井さんが何度も広陵町の靴下工場に出向いて職人たちと話し合うことから始まる。

 「仲間とロトトを立ち上げる時に、ソックスのブランドで世界と勝負したいと決めていました。知らない世界ではないので、職人さんとも話がしやすいんです」

 石井さんがまず案内してくれた工場は、創業昭和2年(1927)の「創喜(そうき)」。昔ながらの稀少な旧式の編機を使って職人が靴下を編んでいる老舗の靴下メーカーである。

昔ながらの旧式靴下編機が稼働する創喜の工場。ゆっくりと編み上げるので編み地がきれいに仕上がって肌触りもいい

 「靴下の編機にはたくさんの種類があって、うちは昔ながらの旧式の編機でゆっくりと編んだ、ふんわりとした厚めのローゲージのソックス作りを得意としています」

※針数のことで、靴下などニット製品の網目の粗さ・細かさを表す単位。その数によって主に「ハイ」「ミドル」「ロー」の3種類に分けられる


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