このとき、米国内で逮捕された「スリーパーセル」の10人と、ロシア側の4人が交換対象となった。米国からモスクワに帰った1人が「美しすぎる女スパイ」と呼ばれたアンナ・チャップマンであり、スクリパリ氏と同様に釈放された1人は、現在、英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)の研究員として勤務するイゴール・スチャーギンだった。ウィーンの空港で、それぞれの側に引き渡されたのだという。
スチャーギン氏は今回の事件でも英メディアにコメントを出している。「私と違って、スクリパリ氏には家族がいた。それは大きな喜びだった」「私は彼が狙われたと思わない。なぜなら、釈放されたということはロシアによって恩赦が与えられたということなのだ」と指摘した。スクリパリ氏が狙われた理由については皆目、検討がつかないと打ち明けた。
スクリパリ氏はその後、家族とともにソールズベリーに移り住んでいた。なぜ、縁もゆかりもない英国南部の地を選んだのかと疑問がわく。自らをリクルートしたMI6のエージェントが近くに住んでいるから、という情報も浮上している。周囲には、静かに余生を暮らす年金受給者のような人物に映っていた。寄り添った妻は2012年に死亡。スクリパリ氏は妻のお墓に花を添えるのを欠かさなかったのだという。地元の博物館に行くのが好きで、ときに軍事色の強いものや自然ものの展示がお気に入りだった。娘のユーリアさんも頻繁に父の元を訪れていた。
事件の直前、スクリパリ氏はロシアの情報機関に関しての一般向けのレクチャーを行う準備をしていたとの情報も浮上している。しかし、事件の直接的な動機と関与しているかは定かではない。
VXやサリンよりも危険な毒物
特別捜査班は、事件発生後、スクリパリ氏の自宅を訪れた警察官1人が神経剤「ノビチョーク」の中毒にかかって倒れたことから、自宅が犯行現場の疑いがあると踏んでいる。防護服を来た捜査員の自宅の捜索は連日、続き、英紙ガーディアンによると、捜査官はスクリパリ氏の最近の動向を聞き回るとともに、隣人からはWi-Fi環境がどのように組まれていたかを聞き出しているという。
裏切り者は抹殺される――。プーチン政権に楯突いたスパイ暗殺をめぐっては、2006年に放射性物質のポロニウム210を摂取して、後に病院で死亡したFSB幹部のアレクサンドル・リトビネンコ氏の事件が記憶に新しい。その後、ポロニウム210の移動の痕跡からモスクワまで辿るルートが解明された。
しかし、今回は、実行犯が誰の指示を受けていたのか、または、ノビチョークはどのようにして現場まで運ばれ、どのように盛られたのかの解明は難航するとみられている。ノビチョークは「VXやサリンよりもさらに危険な毒物」とされ、30秒から2分の間で即効性が表れる。しかし、放射性物質のポロニウム210と違って、痕跡を辿るのは難しい特性があるのだ。
ノビチョークの存在は1990年代に、米国に亡命した元化学者、ビル・ミルザヤノフ氏によって明らかにされた。欧米との軍事衝突に備えるため、冷戦時代の1971から73年にかけて、ロシア南部シハヌィの軍事研究所で「バイナリー・ウェポン」(Binary Weapon=2種混合型化学兵器)の1つとして極秘に開発された。
バイナリー・ウェポンとは、それぞれ単体では危険性が薄い2種類の化学物質を、混ぜ合わすことで致死率の高い毒物を作り出す化学兵器の総体を意味する。素材の物質は国際機関などの禁止薬物リストに含まれておらず、工作員は検査官に察知されず、運搬できる。専門家は「運び屋は健康を害さない形で、構成する物質を別の場所へ移動することができる」と語っている。
つまり、仮に誰かがロシアからノビチョークを運んだとしても、それは毒物そのものではなく、素材の化学物質だけを運び、英国内のどこかの施設で混合されてノビチョークが作り出された可能性があるのだ。仮にノビチョークの出所がわかり、実行犯を割り出せたとしても、ロシアの関与まで結びつけるには、相当の裏付けが必要になってくる。