2024年11月25日(月)

WEDGE REPORT

2018年4月19日

獄中生活の中で「赦し」を学んだマンデラ

 しかし、驚くべきは、この獄中で耐え抜いたマンデラの不屈の闘志ばかりでない。ここでマンデラは一つ重要なことを学んだ。「赦し」である。当時、オランダ人看守がロベン島のそこかしこに配置され、厳重な見張り態勢が敷かれていた。ロベン島入所当初、マンデラと看守の関係はささくれ立っていた。片や反体制の闘士、片や冷酷無比なオランダ人看守。

 だが、27年に及ぶ長い時が、このささくれ立った関係を徐々に変えていく。それにつれ、マンデラははたと気が付く。白人看守と心を通じ合うことができる。マンデラの心は徐々に変化していった。白人への憎しみが白人への理解に代わった。あの、一生をかけて戦ってきたアパルトヘイトの白人にも人間の血が流れている。そうであれば心が通じないわけがない。

(iStock.com/A-Shropshire-Lad)

 1994年、獄中から解放されたマンデラは南アフリカの大統領に就任する。掲げたのが「レインボーネーション」、即ち、黒人も白人もインド人もだれもが共生する南アフリカだった。マンデラの頭にはそれ以外の選択はなかった。隣のジンバブエでも、他のアフリカ諸国でも、すべて黒人が政権を握った後、白人は追放された。しかし、その結果国はどうなったか。それに比し、南アフリカは今どうか。

 無論、諸手を挙げて南アフリカを称賛するわけにはいかない。南アフリカ社会が、依然、人種の亀裂と過去のくびきにさいなまれていることは否定できない。つまり、アパルトヘイトが幕を閉じて四半世紀を迎えようとしてなお、南アフリカはいつ果てるともしれない「共生を目指した闘争」の過程にある。恐らくそれは今後も続いていくのだろう。

 しかし、ここで一つ明らかなことは、この新たな闘争は血で血を洗うことがない。かつての凄惨な歴史に彩られた闘争の日々は今、マンデラが唱えた「赦しと寛容」を旗印にした闘争にとってかわられた。それは、いつ果てるともしれない闘争ではあるが、少なくとも未来に希望がある。アパルトヘイトの暴力は終わった。新たに就任したラマポーザ大統領の下で、南アフリカは「共生の夢」に向かい力強く歩み続けている。


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