終わりの見えないジャングルの中での闘争
ジャングル生活の厳しさは、いつ敵が襲ってくるかもしれない、食料と水を自らの手で確保しなければならない、武器弾薬を調達し戦い続けなければならない、という、闘争と生存が紙一重のところでつながっているところにある。従って、ジャングルで戦う者はおちおち眠ってもいられない、満足に食べてもいられない。
否、そもそも東ティモールのジャングルに食べ物はほとんどない。通常、兵士が食べるのは木の根と虫だ。筆者が東ティモールにいた時、時のルアク大統領がジャングル生活をしのぶ会というのを催した。会に出された食事は木の根と虫だった。ジャングルの奥深く入ったところに他に何があるというのか。果物が見つかれば幸運と言うべきである。そういえば、しのぶ会のテーブルに木の皮はあった。
しかも、耐久生活をすればいいというものではない。闘争である。武器弾薬がいる。どうやって調達するか。グスマンたちは、インドネシア軍が撤退するときに置いていった武器弾薬を残すことなく拾い集めた。これしかない。
しかし、そうやって集めても所詮たかが知れている。一回戦えばすぐ弾切れだ。従って、ゲリラ闘争の神髄は勝つことにはない、負けないことである。ゲリラは存在することこそが重要なのである。「いつジャングルの中から攻めてくるか分からない、その恐怖こそがゲリラ闘争の本質に他ならない」。そう、ルアク大統領は筆者に語った。
そして、グスマンは不幸にも1992年、インドネシア軍に捕らえられる。そこから獄中の生活が始まる。
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