2022年7月3日(日)

WEDGE REPORT

2018年4月19日

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東ティモールを独立に導いたグスマンの闘争

 東ティモール、シャナナ・グスマン元首相。ジャングルと獄中、合わせて24年の闘争の日々。そしてついに勝ち取った独立。しかし独立が決まった途端、これに反対する東ティモール人民兵が反乱を起こした。これにインドネシア軍が加わる。反乱はあっという間に国民を二分しての戦いとなり全土が内戦に陥った。国土の大半は灰塵と化した。

 それから16年、首都ディリには巨大なショッピングモールが建ち、週末にはスマホを手にした若者が群れをなす。もはやこの若者の記憶の中に、反インドネシア闘争の日も内戦の日々もない。無邪気にスマホの画面に見入るその屈託ない横顔に、グスマンの苦難の日々が二重写しになっている。

 インドネシアは人工の国だ。一説には4万もあるという島が、オランダから独立した時、たまたまオランダ統治という共通項が接着剤となりインドネシアという一つの国が生まれた。従って、この国は接着剤がはがれれば分解する。スカルノも、スハルトもそれを恐れ、「バンチャシラ」の下、しきりに国の一体性を訴えた。

 インドネシアでは従って、まずは国というものがある。国は意識的に強調されなければならない。アメリカが何かと言えば星条旗を持ち出すのと同じだ。その対比でいえば、日本には未だに国旗掲揚に反対する人がいるが、それは国が一体であることを疑う者が誰もいないからだ。

 そういうインドネシアにとって、心配な地方が3つあった。アチェと西パプア、それに東ティモールである。就中、東ティモールが厄介だった。それは先にも記した通り、インドネシアが、オランダ植民地という歴史的経緯から生まれたことに起因する。東ティモールはポルトガル植民地だった。そこが、東ティモール人が、インドネシアに併合された時から反インドネシア感情を抱いた理由でもある。

 どう考えても東ティモールは小さな島である。あの一帯に無数に散らばる他の島々と違うわけがない。実際、民族的、言語的には東ティモールは、例えば付近のフローレス島やロンボク島と変わるところがない。ただポルトガルに占領されたという一点において東ティモールが異なるのである。それが東ティモール人のアイデンティティーを形作った。インドネシアの風下に居続けるわけにはいかない。

 しかし、この反抗的な態度がインドネシア側の圧政に火を注ぐ。それは感情的な反感だけでなく、東ティモールの独立を許してしまえば、他の島もいつかそれに続き、やがてついにはインドネシアが分解しかねないとの危惧である。実に、東ティモール独立運動は「インドネシアの接着剤」に関わる動きだったのである。

 そういう闘争をグスマンが24年にわたり率いた。初めの17年はジャングルでの闘争だった。ジャングルと獄中のどちらがいいか。それは愚問である。

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