幕末の若きサムライが見た中国

2018年4月28日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

なぜ、聖書など有難がるのか

 某日、病床の納富を「二人ノ書生來リ訪フ」。友人が応接すると、聖書を持参している。「耶蘇」の布教らしい。そこで友人は「大イニ怒リソノ書ヲ抛チ」、追い返した。「然ルニ次日又來ル」。「入ルコト許サゞレバ、立ツテ戸外ニ在リ」。そして折から訪ねて来た「知己ノ書生馬銓」に納富への取次ぎを頼んだ。馬銓もまた「聖書だから読んでみたら」などと悪気もなく勧めたのだろう。だが、いくら「知己ノ書生」の勧めとはいえ、「耶蘇ノ邪教書」なんぞを受け取るわけにはいくまい。当然のように「我友等倍々怒リ大イニ嚷責シ皆出テ右ノ書生ヲ遂却」した。その結果、布教活動は翌日から絶えたようだ。一連の聖書騒動を、「噫、清國書ヲ讀ム者スラ既ヲ尊奉ス。況ヤ愚民等ニ於テヲヤ」と納富は慨嘆する。

 ――清国には孔孟以来の聖賢の著書や歴史書があろうものを、読書人たるもの、なにゆえに「耶蘇ノ邪教書」なんぞを有難がるのか。読書人がこれだから、一般民衆は推して知るべし。嗚呼、何とも嘆かわしい限りだ――

 ところで、「倍々怒リ大イニ嚷責シ皆出テ右ノ書生ヲ遂却」した「我友等」の先頭に立ったのは、はたして高杉晋作であったか。かりに高杉が刀の柄に手をやりながら大喝した場面などを想像してみると、じつに痛快な“文明の衝突”の現場といえそうだ。

 日本の若者の剣幕に驚いただけではなく、おそらく彼らの武勇伝は瞬く間に上海の知識層に広まったに違いない。そこである日、「清人ノ醫師來リ語ツテ曰ク」となる。これまた筆談なのか、通訳が入ったのかは不明だが、「清人ノ醫師」の話の大意を綴っておくと、

 ――浮説では、あなた方は英国からの支援要請を受け上海に来たとのこと。清国・日本・英国・仏国が力を合わせて太平天国軍を撃破してくれるのだろう。日本軍本隊を乗せた軍艦は、いつ到着するのか。待ち遠しい限りだ。日本軍には1日で千里往って還る兵士もいれば、雲に乗り水の上を走る兵士もいるそうだが、あなた方を見ると不思議にも普通のヒトのようだが――

 かくて納富は「初メ我船着岸ノトキ皆上陸セシニ、來リ觀ルモノ雲集セシハ、サル浮説ノアリシ故ナラン」と納得した。どうやら中国人は千歳丸一行を日本からの援軍の先遣隊と期待していたようだ。それほどまでに上海は「長毛賊(太平天国軍)」の攻撃に悩まされ、それゆえに人々は日本を頼みの綱と心待ちにしていたことになる。

 この「浮説」に一行の哄笑が聞こえて来るようだが、やはり納富には自国を守ろうとする気概なき清人の振る舞いが気になって仕方がないらしい。だから「清人ヲ見ルニ、凡ソ柔弱ナル躰ナリ」となる。

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