幕末の若きサムライが見た中国

2018年4月28日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

日本への亡命を望む者たち

 上海に攻め寄せる太平天国軍、これを迎撃する清国軍と英仏軍。戦場は上海に迫る。戦場から逃れ上海に押し寄せ惨めな生活を余儀なくされている難民を見て、納富は「定メタル住居ナク、或ハ路傍ニ佇ミ或ハ船ヲ栖家トシ雨露ニ濡レ飢渇ニ困シミ、タゞ一日々々ノコトヲ計ルノミ。ソノ命懸絲ノ如シ。憐レムニ堪ヘザル衰世ナリ」と綴る。

 難民の多くは「蘇州ノ者ニシテ約ソ十餘萬人モコレアルベシ、且官府モコレヲ救フコト能ハザレバ、餓死スル者日々ニ多シ」。難民をめぐる環境は日々刻々悪化するばかり。清国政府も手の打ちようがないだけに、日本への亡命を望む者が現れたのである。

 千歳丸一行の宿舎に顔を出し「風流ノ交リヲナスハ、皆難民中ノ人ニシテ、ソノ中ニハ秀才モ有ツテ、清朝ノ衰政ヲ哀ミ頻リニ皇國ヲシタ」う。納富が綴る「秀才」が科挙試験上位合格の秀才なのか、一般的に頭がいいという意味を指すのかは不明だが、ともかくも一般難民とは違う読書人クラスの難民がやって来て納富に対し、「もう清朝はダメです。救いようはありません。それに引き替え皇国(にほん)は素晴らしい」とでも語ったのだろう。とどのつまりは亡命への支援要請だ。反日感情など考えられもしなかった時代の話ではあるが、その後の紆余曲折極まりない日中関係を考えるなら、なにやら不可思議な思いがしないでもない。

 納富は「余ニ言ヒテ曰ク、現今多クノ難民去ツテ貴邦ノ長崎ニ在リト。古ヘモ亦コレアリ。貴邦ハ素ヨリ仁義ノ國ト知ル。而シテ我邦ト唇齒ニ均シ。若シ諸侯ニ於テモ我輩ヲ憐レンデ倒懸ノ苦ミヲ救ヒ、召シテソノ民トナシ玉ハゞ、長ク恩澤ヲカフムリ安居スルコトヲ得ント、坐ロニ涙ヲ浮カベケレバ、余モマタ哀憐ノ悲ニ堪ヘザリキ」と記している。この部分のやり取りは筆談だったのか。それとも通訳を介したのか。ともかく「現今多クノ・・・」から「・・・悲ニ堪ヘザリキ」までを現代風に翻読してみると、

 ――ただ今、多くの難民が貴国の長崎に流れ着き住まいしている。こういったことは、その昔にもありました。貴国は古より道義の国であることを承知しており、加えて我が国とは唇と歯のように切っても切れない関係にあります。私を哀れに思われ、召し抱えても宜しかろうと恩情を掛けて戴けますなら、末永くご厚情に浴し安居することが叶うことと思います――

 こう涙を浮かべて訥々と語り掛けられたことで、納富としては「哀憐ノ悲ニ堪ヘザリキ」である。続けて「因テ思フ」と難民の処遇について記す。これまた翻読すると、

 ――拙者が思うに、これら難民を救い申して皇国の民の列に加え、職人の技術を生かさば国益にもつながり申そう。農民ならば島々や山林を切り開かせ、意欲と能力ある者は挙って使うが宜しかろう。太平天国の賊乱に遭って苦しみ、空しく餓死するなどということ、痛々しく、これまた口惜しきことではござらぬか――

 この時、果たしてどれほどの数の難民が長崎にやってきたのか。そのうちの何人が日本に落ち着き生計の道を確保したのか。それは不明だ。

 納富は自らが見聞きした上海の姿から、一向に止みそうにない「賊亂」が清国全体に及ぼす惨状を考えてみた。上海では従来からの住人に加え「十餘萬ノ難民等」が食べなければならない。上海は「幸ヒ廻船便宜ノ地ナレバ米穀」が底を尽くことはないが、米価は日々に高騰するばかり。かくして「難民等ハ買フコト能ハズ。又乞兒トナリテモコレニ與フル者ナケレバ、遂ニハ餓死スルヨリ外アラザルベシ」という状況が現出する。

 手の打ちようのない惨状から、納富は考える。「他ノ地モ亦賊亂ヲ避ケ、ソノ地モシ米粟少ナク又運送ノ便ナクンバ、從令黄金ヲ貯フトモ、飢渇ニセマリ餓死スル者上海ヨリ尚多カラン。實ニ清國當今ノ衰世アサマシキコトゞモナリ」と。最早この国は、手の施しようがない。

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