2024年12月8日(日)

使えない上司・使えない部下

2018年5月15日

 今回は、ヘア・エステなどのビューティサロンを運営するエスタシオ(東京都杉並区)の代表取締役社長・舟木なみさんを取材した。エスタシオは、東京(荻窪)と神奈川(天王町)、埼玉(桶川)、山梨(石和)に美容院とエステサロンを5店舗展開し、社員数は約40人。

(Vimvertigo/iStock)

 父が経営する会社が経営難のため、行き詰まり、舟木さんは営業権などを引き継ぐ形で、2006年にエスタシオを創業した。父の会社に勤務していた美容師などの社員をエスタシオで新たに雇入れ、スタートしたが、当初は社員との間に壁を感じたという。それを乗り越えるためにこの12年間、様ざまな試みをしてきた。

 舟木さんにとって、「使えない上司・使えない部下」とは…。

「父が経営していたのだから、私だってできる」

 私が社長になるまでは、父が創業者として経営をしていたのです。美容ディーラーとして会社を興し、都内や神奈川、山梨などにピークで美容院を18店舗ほど展開していました。多いときは、100人ほどの社員がいたようです。

 私は大学を卒業後、リクル―トに正社員として入社し、働いていたんです。学生の頃、アルバイトをしたとき、大量の仕事を任され、3日間、家に帰れなかった。社員として働くとまさにモロ・成果主義…。私、大好きでした。本当にいい会社だった。

 5年目くらいのときに、父から「そろそろ、(会社に)戻ってこい。深刻な病気だから…」と言われたんです。実は、仮病でした…。リクルートを辞めて駆けつけた私は、怒りました。ふざけるな!って。娘である私にバトンタッチをしたかったんでしょうね。父の会社では、総務の仕事をしていたんです。職場にいる父は、怖かった。創業オーナーのカリスマ性を漂わせていました。ほとんどの社員が何も言えない。私も言えませんでした。今にして思うと、不思議なんですけど…。

 5年ほど勤めて、辞めたんです。もう、こんなところにいられないと思ったのです。会社のお金はなくなる。美容院のお店で販売する商品が消える。揚げ句に、お店に来たお客さんが、財布のお金がないって。髪をセットしている間に、ある美容師が、お金を盗んだらしいの。お客さんが、警察に通報して…この美容師は辞めていきましたが。私はストレスがたまり、アトピー性皮膚炎になったんです。

 退職後は、フリーで人事コンサルタントの仕事を5年間ほどしました。リクルートの頃の先輩が経営する会社などから、新卒採用に関する業務を請負っていました。このときに、先輩から徹底してマネジメントなどを教えられたのです。

 あるころから、父は資金繰りで苦しんでいました。経営難だったんでしょうね。私はフリーランスで仕事が多く、収入も多かった。父が、お金を貸してくれって頼むんです。気の毒に思い、貸していましたが、返せないようになってきました。聞く限りでは、銀行から借りられるだけ借りて、それでも資金が足りない。マチ金融からも借りていたようです。こうなると、もうダメですよね。

 当時、父と同居していましたが、家に「金を返せ!」と催促の電話が頻繁に入りました。母はおびえ、疲れきっていきました。私が、金融機関やマチ金融などに対応したんです。結局、私の判断で弁護士や税理士などに相談し、会社を整理したのです。もう、無理でしたね。経営を続けるのは…。売上が2億円前後で、借金が2億円ほどになっていましたから。年利23~25%の金融機関からも多額を借りていたようです。

 このあたりは12年以上経った今も、父と向かい合い、話し合うことはありません。あのとき、選択肢は2つありました。1つは、父の会社を完全に潰してしまうこと。もう1つは、何らかの形で生き残るようにして、少なくとも社員さんやそのご家族の生活を守ること。私は父の後を継ぐ形で社長となり、後者を選んだのです。

 社員の多くは美容師さんなのですが、40~50代の方が多数いたのです。この世代になると、ほかの美容院に務めることが難しいようでした。私は経営のことを何も知らなかった。だから、怖いもの知らず。「父が経営していたのだから、私だってできる」「5年ほど経営したら、40~50代の美容師さんも定年退職するかな。その頃、また、考えよう」。こんな思いでスタートしたのですが、今ならば絶対にしない。この12年間、社長をしてきて、経営の怖さや難しさを思い知りました。会社の経営は、社員の雇用を守りたいという思いだけではできません。


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