2024年11月22日(金)

「犯罪機会論」で読み解くあの事件

2018年5月14日

 次に、「人通り」のある道でも、人通りが途切れるタイミングは必ずやってくる。犯罪者はそのチャンスが訪れるまで、普通の住民として振る舞うだけでいい。人通りのある場所だけに、そこにいても周囲が違和感を覚えることはない。誘拐の主導権は、常に犯罪者の側にあるのだ。

 大都市の駅前のような「人通り」の激しい道では、そこにいる人の注意や関心が分散し、視線のピントがぼけてしまう。そのため、犯罪者の行動が見過ごされやすくなる。つまり、心理的に「見えにくい場所」になるのだ。2006年、兵庫県西宮市で女児が連れ去られ重傷を負った事件では、多くの人が行き交う駅前広場が誘拐現場となった。また2003年、長崎市で男児が連れ去られ殺害された事件では、買い物客でにぎわう家電量販店が誘拐現場となった。

 逆に、「人通り」のない道でも、そこにたくさんの窓が面していれば、犯罪者は視線をイメージして犯行をためらわざるを得ない。

 さらに、「街灯」も犯罪の誘発性とは無関係である。そもそも、街灯の機能は「夜の景色」を「昼の景色」に戻すことである。ということは、昼間安全な場所(例えば、両側に住宅の窓がたくさん見える道)に街灯を設置すれば、夜でも昼の景色に戻って安全性が高まる。しかし、昼間危険な場所(例えば、両側に高い塀が続く道)に街灯を設置しても、戻った景色は危険なままなので安全性が高まることはない。

 要するに、昼間「見えやすい場所」に街灯を設置すれば、夜でも「見えやすい場所」になるが、昼間「見えにくい場所」に街灯を設置しても、夜だけ「見えやすい場所」にはならないのである。

 後者のケースでは、街灯によって「見えやすい場所」になったと勘違いしてしまい、それまでは暗かったので警戒していた人も油断するようになるかもしれない。それでは、かえって犯罪が起こりやすくなってしまう。シンシナティ大学のジョン・エック教授も、「照明は、ある場所では効果があるが、他の場所では効果がなく、さらに他の状況では逆効果を招く」と述べている。

防げる事件も防ごうとしていないのではないか

 以上、新潟女児殺害事件の現場周辺を、犯罪機会論の視点から分析してきた。こうした視点は、欧米諸国では一般的であり、日本だけが、犯罪機会論の世界で取り残されている。その結果、誘拐を防ぐ対策についても、日本は大きく後れをとっている。

 例えば、「不審者」という言葉を使っているのは日本だけである。欧米諸国では、防犯の対象になっているのは、「人」ではなく「景色(場所)」である。危ない人は見ただけでは分からないが、危ない景色は見ただけで分かるからだ。

 また日本では、防犯ブザーを持たせたり、走って逃げる練習をさせたりしているが、欧米諸国では、そうした取り組みは聞いたことがない。日本でも、警察庁の報告書を読むと、子どもが誘拐された事件のほとんどが、だまされて連れ去られたケースであることが分かる。犯罪者にだまされてついていく子どもは、防犯ブザーを鳴らしたり、走って逃げたりはしない。だまされるケースを防ぐには、子どもの「景色解読力」を高めるしかない。なぜなら、人はウソをつくが、景色はウソをつかないからだ。「景色解読力」を高める教育手法については、「子どもの誘拐事件を防ぐ『地域安全マップ』の正しいつくり方」を参照されたい。

 また、パトロールについても、道路を漫然と行き来する「ランダム・パトロール」を採用しているのは日本だけである。欧米諸国では、犯罪が起こりやすい場所(犯行の機会がある場所)を重点的に回る「ホットスポット・パトロール」が一般的だ。

 子どもの見守り活動も、安全な場所で子どもを見ているだけでは守っていることにはならない。犯罪者が物色や接触に利用しやすい場所に、地域住民がたたずんでいれば、犯罪者に大きなプレッシャーを与え、犯行をあきらめさせることができる。

 さらに、欧米諸国では、公共の場に防犯カメラを設置する場合には、犯罪者はどこから物色するか、ターゲットにどう近づくか、どこへ逃げるか、というシミュレーションを行っている。犯罪機会論の知識がなければ、このシミュレーションを正確に行うことは難しい。

 こうしてみると、今回の事件は、「防げる事件も防ごうとしていないのではないか」という重大な疑問を、私たちに突きつけているように思えてならない。

  
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