2024年4月26日(金)

幕末の若きサムライが見た中国

2018年7月8日

卑怯な戦法も辞さない英仏軍

 天津で迎え撃つ清国軍は「ミナゴロシニセント」、砲台・地雷などで万全の態勢を整え英仏軍の上陸を待った。ところが、その地に住む中国人が先祖伝来の土地が戦場になることを恐れたらしく、清国軍側の軍事機密を英仏軍に漏らしてしまった。そこで英仏軍艦は「清軍ノ攻擊ヲ恐レ、高ク白旗ヲ掲ゲソノ中ニ『免戰』ノ二字ヲ書シ、カタハラニ『暫止干戈、兩國交和』ノ八字ヲ書シ、又和約ヲ以テ清軍ヲ欺ク。清軍ソノ術中ニ陥リ更ニ攻擊セズ。〔中略〕夷艦遽ニ清軍ヲ轟擊ス。ソノ勢大イニ張ル」。かくて英仏両軍の前に「清軍大敗ニ至ル」ことになってしまった。

 ある中国人が己の目先の利のために敵に通じ、防衛機密を漏らしてしまった。英仏軍が「免戰(戦闘回避)」とか「暫止干戈、兩國交和(暫時戦闘休止、双方講和のテーブルへ)」とか書いた「白旗ヲ掲ゲ」、さらには話し合いを提案してきたら攻撃を手控えるのは当然だろう。ところが、それが清国軍を欺く戦法だった。かくて英仏連合軍は順調に進撃を重ね、清国軍は大敗してしまい、清国は英仏両国に莫大な賠償金を払う羽目に陥ったのである。英仏軍は勝利のためには卑怯な戦法も辞さないことを知ったはずだ。

 東西交易が盛んな上海には莫大な関税収入があるにもかかわらず、「ソノ利ヲ洋夷ニ奪ハル」る要因を考え、「夫レ洋夷ノヨダレヲ流シ萬里ノ波濤ヲ來ル」と書き出す。

――そもそも西洋人が「ヨダレヲ流シ」しながら万里の波濤を厭わずにやって来る最終目的は、「金」「虛喝」「邪敎」「鴉片」などの手段を弄し、物心両面で洗脳し民族の生気を徹底して骨抜きにしたうえで殖民地化することにある。戦争せずとも、相手を無血開城させたうえで殖民地化してしまう。ロー・リスク、ハイ・リターンである。すでに清国はそうなってしまった。なんとも嘆かわしいばかりだ――

天津条約に仕組まれた陰謀

 ここで日比野は、第2次アヘン戦争(=アロー戦争)処理のために英仏連合軍が制圧した天津で、英仏両戦勝国に加え、ロシア、アメリカの4ヶ国と清国との間で1858年に結ばれた天津条約を持ち出す。

 同条約の骨子を示すと、①英仏両戦勝国への莫大な賠償支払い。②外交官の北京駐在。③外国人による中国旅行と貿易の自由の保障と治外法権の承認。④外国艦船の長江通行の権利保障。⑤キリスト教布教の自由と宣教師保護。⑥牛荘(後の営口)、登州(山東)、漢口・九江・鎮江・南京(共に長江流域)、台南・淡水(共に台湾)、潮州(広東東部韓江中流域。後に沿海部の汕頭に)、瓊州(海南島)など10港の開港。⑦公文書には「夷」の文字を用いず――つまり4ヶ国は猛禽のように清国を骨の髄までしゃぶり尽くそうとした。

 この7項目のうち、日比野は7番目に注目する。

 この条項に拠れば清国側役人は英仏露語を学ぶ必要はないが、「洋夷ハ却テ漢字ヲ學」ばなければならないことになる。一見して4カ国側に不利と思えるが、じつは有利な条項だというのが日比野の考えだ。つまり4カ国側は交渉段階で自らの狙いを相手に知られることはないが、清国側の秘密は筒抜けになってしまう、というわけだ。

インテリジェンスの大切さを知った日本の若き侍

 「洋夷」との交渉における言語問題を考える日比野の許に、上海に入港したイギリス船から「日本伏見ニテ大ナル變アリ」との情報がもたらされる。「洋夷ノ鬼子」は、その情報をどうして入手したのだろうか。日本を遠く離れた上海に身を置いているから日比野は、「伏見ノ變」の真偽を確かめる手段を持たない。だから、「洋夷ノ速カニ我國事ヲ知ツテ流言スル」ことに対抗しようがない。当然のように上海での交易の可能性を探ろうなどという当初の目的は吹き飛んでしまう。あるいは、それこそが「洋夷」の狙い目だったようにも思える。

 千歳丸が上海に赴いた文久二(1862)年に伏見で起きた事件といえば、一行が長崎を出港した「文久壬戌年四月廿七日」の直前に寺田屋を舞台にした島津久光による有馬新七ら薩摩藩尊皇派制圧だろう。これが「洋夷」が速やかに知った「我國事」なのかは不明だが、日比野ら日本側には情報の真偽を確かめる手段がない。そこで一行は浮足立ってしまう。日比野は「實ニ惡ムベク又オソルベシ。嗟々」と慨嘆するのだが、「速カニ我國事ヲ知ツテ流言」されてしまい国論分裂に至れば、劣勢挽回は至難となる。だから他国の「國事ヲ」「速カニ」知るためには如何にすべきか。やはり「洋夷ノ鬼子」が「我國事ヲ知」るに至った経緯・仕組を探るだけでなく、「洋夷」の言葉を徹底して学ぶことではないか。インテリジェンスの大切さを知ったということか。

  
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