中国は、実は苦悩の中にあるのではないか?
こうして見てくると、あらためてさまざまな疑問が浮かんでくる。まず、米国の最新鋭ステルスヘリは、本当に作戦遂行のなかで墜落し残骸は放置せざるを得なかったのか? という疑問が浮かぶ。昨今、中国が世界に披露したステルス戦闘機は、10年以上前、ユーゴスラビア軍に撃墜された米のステルス戦闘機F-117のエンジン部分を中国がもち帰り、その技術を応用したものだとも伝えられたが、果たして、米軍ともあろうものが、同じ轍を二度踏むようなことをするであろうか。
英米はかつて米中接近の際、対ソ連への協力の見返りに、毛沢東が熱望した軍事転用可能な英国の技術を密かに提供したこともあるのだ。このステルスヘリの話はむしろ過去のそうした事実を彷彿とさせはしないか。
力衰えつつあるとはいえ、今日の世界で、米国は依然、他の追随を許さないスーパーパワーである。その国力の源泉はいまも昔も「戦い」にあり、戦いにはそれ相応に強い「敵」が必要だ。そして、実際に戦火を起こす以上に、いずれ大きな戦いに発展するのではないか、という緊張を、世界にもたらし続けることこそが大事であろう。
中国と英米陣営の激しく複雑な駆け引き、その狭間で、いわば長らく双方の影響力を天秤にかけてきたパキスタンが打った一手。これは日本に今後どう影響するのか?
中国の海洋戦略自体を、日本にとっての脅威と見ることは間違っていない。パキスタンのグワダルは、日本にとっても重要なシーレーン防衛に大いに影響する場所である。ただし、そればかりを騒ぎ立てても、日本にとって実効性ある対抗策は見えてこない。
実効性ある策を考えるには、中国と他国間の複雑な関係を歴史も踏まえ、冷徹に読み解くことが肝要だ。たとえば、中国が、「大陸」で手こずっている限りは、本格的に海洋に出ては来られないともいえるではないか。たとえ、どんなにそのポーズをとろうとも。
世界の狡知に惑わされず、しかし実際にことが起きたときの備えは着々とする。まず、それがいまの日本に求められることではないだろうか。