第二次大戦後、英国が世界中での植民地経営に行き詰まり、各地の独立を容認せざるを得なくなったとき、英米は一計を講じた。インド国内のイスラム教徒に工作し、ヒンドゥー教徒主導のインドとは別の国を作るよう誘導したのである。インドとパキスタンが対立し続ける構図を作り、独立してもなお、英米の影響下にあり続けるよう画策したのだ。
その後の印パの対立の歴史はご承知のとおり。そこへ脇から絡んで、さらに対立の構図を複雑化させ続けてきたのが中国であり、ロシア(旧ソ連)である。
パキスタンは長らく諜報や軍事活動において英、米の支援を受け、一方のインドは、諜報等については英国の諜報機関のありようをベースに体制を作りながらも、冷戦時代には旧ソ連との協力関係を深めていった。インドと中国の間に国境紛争(1959~62年・中印国境紛争・詳細は過去の記事参照)が起きたのもこうした時代のことであり、ことに、中ソの関係悪化後のことである。当然のこと、パキスタンは、「敵(インド)の敵(中国)は味方」というお決まりの理屈で、中国との関係を大事にし続け、中国もまたパキスタンを支援し続けてきたのである。
中国は本当に海に出てくるつもりか?
パキスタンとインドはおもにカシミールの領有問題で対立を続け、ついに核武装にまで至った、と日本では思われている。というのも、1998年、国際的な核実験禁止の流れに逆らって印パ両国が核実験を行なった際、日本のメディアが原因はもっぱら、「両国によるカシミール領有の問題」だと伝えたからだ。
たしかにこの問題、領土の件であるから双方譲れない問題ではある。しかし、国際世論を無視してまで、両国、とくに軍事力で勝るインドが核武装にまで踏み切ったのにはむしろ、別の事情が濃厚に作用していたといえるだろう。
その事情とは、カシミールをこの二国とともに分割領有する中国の存在だ。すでに1960年代には核保有国となり、インドへ核ミサイルを向け続けてきた中国に対し、同じ核で対抗するきっかけを、インドは探ってきたと見るのがむしろ妥当である。
以前も書いたが、中印の国境の争いにはそれ以前の、20世紀初頭にまで遡る歴史が関係している(参照:「日本メディアが報道しない中印対立の深層」)。そこには、今日の中印両国のみならず、かつてインドを支配した英国が、清朝から中華民国へと移り変わる北京の覇者と、現在の中印国境となっているチベットへの覇権を睨んで鍔迫り合いを続けてきた歴史も含まれ、そこへ、わが国が大陸進出していた時期の歴史も重なる。ともあれ、こうした中印パ英という少なくとも四カ国以上の長い争いの流れが、日本で正確に理解されているとは言い難い。
さらに、1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻すると、米国はパキスタンのゲリラ組織にアフガンからの難民を合流させ、ソ連軍と戦わせた。このことをきっかけにソ連の国力が急速に衰退し、その十年後には国家崩壊に至っている。
つまり、英米が、世界中にさまざまな仕掛けを作って、ときには実際に戦火をまみえながらも、対抗する敵(冷戦時代にはソ連)と長きにわたる軍事競争をやって、相手を衰亡させるというやり方は対ソ連で実行済みである。当然、中国はこのことをよく心得ているはずだ。しかし、中国にも、軍事拡張せざるを得ない事情はある。そのことは多くのチャイナウォッチャーがさまざまに解析済みなのでここで述べるのは避けるが、とにかく、世界はそうした相当に複雑で美しからざる思惑の下に「諍い」あって動いているのである。