2024年4月27日(土)

日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

2018年9月28日

若者との対話を追い風に進めた「台湾の民主化」

若き日の李登輝氏(写真:AP/アフロ) 写真を拡大

 李登輝は1988年1月、急死した蒋経国総統の後を継いで総統になったが、実際には国民党内での基盤が弱い、というよりほとんどない状態で、名目上のみのロボット総統であったと言ってもよかった。しかし、李登輝のすごいところは、そこで無闇やたらと自分が進めたいことを推し進めるのではなく、時機が訪れるのを雌伏してひたすら待ったことだ。

 1990年3月に総統選挙を迎えると、党内では李登輝を総統候補に推す主流派と、非主流派が争ったものの、結果的に李登輝が選挙を勝ち抜いて名実ともに総統の座を手に入れる。党の有力者のなかには、それまで前任の蒋経国の路線を穏当に踏襲してきた李登輝を引き続き総統の座に置き、背後でコントロールしようと考えていた人もいたようだ。しかし、李登輝は正当に選出された総統として、ここから徐々に自分が考えていた「民主化・自由化」に着手し始めるのである。

 折も折、台北市内の中正紀念堂という広大なエリアで「野百合学生運動」が展開されていた。「万年議員」と呼ばれた、国民代表らが引退と引き換えに高額な退職金や年金を要求しているという報道に怒った学生たちが座り込みやハンストで抗議運動を始めたのだ。

 李登輝が総統選挙を戦っているさなか、学生たちは憲法改正や国是会議の招集、民主改革のタイムテーブルの提示などを求め、これが結果的に李登輝の進めようとする民主化・自由化への追い風となった。そうしたなかでも、李登輝は温かい気持ちで学生たちを思いやっていた。学生運動が起きたのは、南国台湾とはいえまだ肌寒く、夜には冷え込む3月である。

 ある日の午後、一台の黒塗りの車が、学生運動が行われている中正紀念堂の入口近くに停まっているのが見えた。よくよく観察すると、付近には目立たぬように、警察官や警察車両が配置されている。もしや、と感じた新聞記者がその車両を目指して近づき始めると、車はスーッと現場を離れて走り去ってしまったという。


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