赤坂英一の野球丸

2018年10月17日

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 そんな高田GMの辣腕ぶりが知られるようになったのは、日本ハムのGM時代(05~07年)だった。ドラフトでは中田翔、武田勝や現巨人の吉川光夫、陽岱鋼らの獲得と育成に尽力。当時、投手から外野手へのコンバートを頑なに拒否していた糸井嘉男(現阪神)を粘り強く説得し、のちの成功へと導いたのも高田GMの功績である。

巨人に〝お灸〟を据えるような〝強行指名〟

 06年秋のドラフトでは、巨人に〝お灸〟を据えるような〝強行指名〟に打って出たこともある。巨人入団を熱望していると公言し、他球団が指名を見合わせた日大・長野久義を、入団拒否されるのを覚悟で大学・社会人ドラフトの4巡目で指名に踏み切ったのだ。

 当時のドラフトには「希望枠」という選手の「逆指名枠」があった。長野は「巨人以外に指名されたら社会人に行く」と言っていたため、他球団は手を出さないだろうと考えた巨人は、その希望枠で立命館大の投手・金刃憲人を獲得した。長野は下位指名で獲れると踏んでの戦略だったが、ドラフト会場にいた高田GMは「ふざけるなと思った」と、のちに私にこう語っている。

 「ああいうやり方を許しちゃいかん。他球団が長野の希望を尊重して指名を控えてるんだから、巨人も筋を通して希望枠で長野を獲得するべきじゃないか。だから、おれが4巡目は長野でいけ、と言ったんだ」

 長野は仕方なく社会人のホンダ硬式野球部に進み、08年のドラフトでもロッテに2位で指名されたために入団を拒否。念願の巨人に1位指名を受けられたのは、やっと09年秋のことだった。

 高田GMは選手だけでなく、指導者の発掘にも尽力している。07年、現役引退後15年球界を離れていた水上善雄(現ソフトバンク守備コーチ)の少年野球教室での熱心な指導ぶりに目をつけ、日本ハムへ二軍守備コーチとして招聘。08~09年に二軍監督に昇格した水上は、伸び悩んでいた中田の成長に大きく貢献している。

 ちなみに、私が会社を辞めてフリーのスポーツライターになったのも、高田GMが日本ハムにいたころのことである。さっそく挨拶に行くと、こう言って励ましてくれた。

 「どうせ独立して何かやるんだろう? また遊びに来いよ。赤坂だったらいつでも球場に入れてやるから」

 それから時が過ぎ、10年以上経つと、高田GMはやがて球場で私の顔を見るたび、こう毒づくようになった。

 「またおまえか! 何しに来たんだ! 赤坂は入っちゃいかんと言ってるだろう!」

 そう言いながら、私がインタビューを申し込んだら必ず受けてくれた。高田GMの協力のおかげで出版にこぎつけた本もある。

 「結構、ちゃんとした原稿も書けるじゃないか。赤坂は長いものを書く仕事に向いてるな。短いコラムもいいけどさ」

 そう言われると無性にうれしかったものだ。現役時代は私がまだほんの子どもだったころ、巨人の9年連続優勝と日本一(1966〜74年)に貢献した栄光の〝V9戦士〟。来年からこういう人にグラウンドで会えなくなると思うと、やはり寂しい。高田さん、長い間、お疲れ様でした。

  
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