西山隆行が読み解くアメリカ社会

2018年12月25日

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西山隆行 (にしやま・たかゆき)

成蹊大学法学部教授

東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、博士(法学)。甲南大学法学部教授を経て現職。専門は比較政治・アメリカ政治。著書に『アメリカ型福祉国家と都市政治』(東京大学出版会)、『移民大国アメリカ』(筑摩書房)、『アメリカ政治』(三修社)、『アメリカ政治入門』(東京大学出版会)、5月に『アメリカ政治講義』(筑摩書房)が刊行予定。

司法部と大統領の衝突は異例

 統治機構に対する不信は、司法部にも及んでいる。先のギャラップ社の信頼度調査によれば、連邦最高裁判所に対する信頼度は37%だった。1980年代や90年代には最高裁判所に対する信頼度が60%近くに達したことがあったが、2005年ごろからその信頼度は4割を下回っている。

 2000年の大統領選挙で、共和党候補のW・ブッシュと民主党候補のアル・ゴアの獲得した大統領選挙人の数が逼迫し、その勝敗はフロリダ州の選挙結果に委ねられることになった。フロリダ州の結果は僅差であり、開票方法や開票期日をどう定めるかが党派的対立点となって、その判断いかんによって勝者が決まる事態となった。最終的にはそれらに関する連邦最高裁判所の判断がブッシュに勝利をもたらしたのだが、そのような時期にあっても連邦最高裁判所に対する信頼度は5割ほどあった。アメリカの裁判所は日本と比べると政治的特徴が強いが、とはいえ、司法部は党派的対立からは一定の距離を置く、正統性のある機構という信頼感が存在していた。

 だが、連邦最高裁判所に対する信頼感はその後徐々に低下していく。党派を分断する争点を連邦最高裁判所が積極的に取り上げ、その判決が判事の党派性によって明確に分裂する事態になるに及び、裁判所に対する不信が強まっていった。それはとりわけ、同性婚を認めた2015年のオバーゲフェル判決をめぐって顕在化した。

 そして今日では、大統領と連邦裁判所が相互に批判しあうという事態が発生している。2016年大統領選挙の際にリベラル派判事のルース・ベイダー・ギンズバーグがトランプをイカサマ師と呼んだり(後に謝罪した)、2017年に一部の国からの渡航禁止命令を覆す判決を出した判事をトランプが「ばかげた」見解を持つ「いわゆる判事」と呼んだりしたこともあった。トランプは今月20日、自らの難民政策を却下した判事を「オバマの判事」と呼んで中傷した。それを受けて、連邦最高裁判所長官のジョン・ロバーツは、「ここにはオバマの判事もトランプの判事も、ブッシュの判事もクリントンの判事もいない」と反論する声明を発表した。それに対し、トランプはツイッターで「オバマの判事」は実際に存在し、彼らが下す判決が「この国の治安を悪くしている!とても危険で愚かだ!」と反論している。このような形で、司法部と大統領が衝突するのは極めて異例である。

共通の基盤が失われ、熟議が喪失しつつある時代

 このように、現在のアメリカでは統治機構全体に対する不信感が強まっている。それに加えて、今日のアメリカでは、アメリカ社会の根底を支えてきた「社会契約の喪失」とでも言うべき事態が進んでいるように思われる。

 建国期以来多くの移民を受け入れてきて、多民族性・多宗教性をその特徴としてきたアメリカは、独立宣言や合衆国憲法のような文書に、自由や民主主義などのアメリカ的信条とでも呼ぶべきものを記し、それを守るという一種の擬似契約を結んできた。だが、近年の移民人口の増大、とりわけ、中南米系移民の増大をめぐって様々な議論が展開されており、中南米系や移民の人々と、トランプ大統領を支持している労働者階級の白人の間には共有されるものが少なくなっているように思われる。

 2004年大統領選挙の際、民主党候補となったジョン・ケリーに対する応援演説で、オバマは、黒人のアメリカ、白人のアメリカ、中南米系のアメリカ、アジア系のアメリカというようなものはなく、あるのはアメリカ合衆国だけなのだと主張し、アメリカ社会の団結を訴えた。多様な背景を持つ人々が集まる国であるがゆえに、自由や民主主義などのアメリカ的信条と呼ぶべき共通の価値の下にアメリカ国民が集うよう提唱したのだった。だが、今日、アメリカ国民の間に果たして基本的価値観が共有されているといえるのかと疑問に思わされるほどに、社会的分裂が顕在化している。社会的対立は、人種やエスニシティのみならず、ジェンダーやセクシュアリティ、宗教の問題をめぐっても顕在化しているのはこれまでの論考でも指摘したとおりである。現在のアメリカでは、女性団体やLGBT団体と、宗教右派の間でも対話が成立しなくなっているのである。

 このように、様々な争点をめぐってアメリカ社会がイデオロギー的に分極化し、政治不信が強まっている。アメリカ社会内部で共通の基盤とでもいうべきものがなくなっている状況において、健全な議論は展開されなくなる。民主政治とは、あらゆる人々が真理の一端を担っている可能性があるという前提に立つこと、言い換えれば、真理を独占するものは存在しないという前提に立ったうえで、互いに熟議を積み重ねることで真理に近づき、よりよいものを実現しようと目指すことに重要性がある。にもかかわらず、今日では、有権者レベルでも政治家レベルでも、建設的な議論を通してよりよきものに到達しようと試みるのではなく、自らの絶対的な正しさを信奉して相手を糾弾する傾向がみられるようになっている。

 共通の基盤が失われ、熟議が喪失しつつある時代の民主政治をどう考えればよいのだろうか。2019年も引き続きアメリカの政治社会の行方に注目する必要があるだろう。

  
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