2024年12月22日(日)

古希バックパッカー海外放浪記

2019年2月10日

(2018.2.24~3.24) 28日間 総費用42万円〈航空券含む〉)
ドゥブロブニク(vladimir zakharov/gettyimages)

城塞都市ヘルツェグ・ノヴィの老夫婦

 3月13日。小雨の中モンテネグロの世界遺産の城壁都市コトルから入り江の海岸沿いにアドリア海に面するヘルツェグ・ノヴィを目指す。約30キロの行程だ。たまに薄日が差すこともあったが断続的にみぞれまじりの雨模様。防寒服の上に100円ショップで購入したビニール合羽の上下を着込んだ。途中、フェリーボートで対岸に渡る。

 ヘルツェグ・ノヴィはアドリア海の要衝に位置する中世から続く要塞都市だ。城壁で囲まれた旧市街は数時間歩けば見尽くせる。シーズンオフなので宿泊施設は閉鎖しているようだ。幸い、お昼時だけ開いているツーリストインフォがあった。きれいなお姉さんが数軒の休業中の民泊オーナーに電話して一泊10ユーロの部屋を確保。

 民泊はオーナーが住んでいるアパートの一室だった。70歳のオジイサンと68歳のオバアサンの二人暮らし。空いている子供部屋をシーズン中だけ旅行者に貸している。娘夫婦が隣に住んでおり三人の就学前の孫が随時遊びに来るので賑やかだ。

 アパートは高台にあり、リビングや居室からアドリア海の夕陽を満喫。キッチンで一緒に夕食を準備して食卓を囲み、食後はソファで団欒。老夫婦は片言の英語しか話せないが、それでも充分に二人の善意が伝わってきた。こんなに穏やかで平安な時間を過ごすことは何年ぶりだろうか。物質的には決して豊かとは言えない、むしろ質素な生活なのだが。お二人のように精神的に満たされて安らかな老後を夫婦で過ごせたらどんなに幸せであろうか。

超有名な世界遺産ドゥブロブニクの旧市街はスルー?

 3月14日。ヘルツェグ・ノヴィの民泊アパートを8時に出発して20分も経たぬうちに雨となった。ヘルツェグ・ノヴィはモンテネグロの西端に位置する。10時頃モンテネグロ側から峠を越えてクロアチア側検問所を過ぎると晴れてきた。

 左にアドリア海、右に岩山が連なる山脈を眺めながらの下り坂は快適そのもの。ドゥブロブニクまで14キロの標識を過ぎたころから再び雨模様に。午後1時半頃、雨の中ドゥブロブニク旧市街の入口レヴエリン要塞に到着。小1時間旧市街を散策。大聖堂、宮殿、修道院、総督邸などを外から一通り見物。観光客が多くざわざわした雰囲気である。さらにTV番組などでお馴染みのため既視感(デジャビュ)が邪魔してどうも気持ちが入らない。

インスタ映えする旅とは?

 旧市街の出口近くでバスを待っていた東京から来たというOL二人組と遭遇。二人は学生時代からの友人で現在は別々の職場にいる。今回は2週間の休暇を取得して中欧諸国を自由旅行で周遊中。

 二人とも“なかなかの美形”であり、スマホで撮った写真を見せてくれた。世界遺産を背景にインスタ映えするのは間違いない。スマホには絶景や名所旧跡や名物料理などの素敵なフォトが無数に蓄積されていた。

 彼女たちと話していて“めっちゃ”羨ましく思った。キラキラと輝いていて、目の前の事象をめいっぱい楽しんで。彼女たちには“旅を楽しむ”何か特別の能力(または才能?)がある。上手く表現できないが謙虚、素直、好奇心というような特性である。

 「若くて美人ならば何をしても楽しいはず」と考える人もいるかもしれないが、実際に旅をしていると“若くて美人でも旅を楽しんでいない”ように見える人が国籍人種を問わず意外に多いことに驚く。

 オジサン自身は意識して虚心坦懐・好奇心旺盛を心掛けるようにしている。年寄りが威張って仏頂面して旅行していたら、自分も楽しくないし誰にも相手にされない。

欧米ではフツウのギャップイヤーとは

 東京のOL二人組と別れてからホステル探しに没頭。五軒のゲストハウスを順番に訪ねたが全て閉鎖中。途中でオランダ青年ベセル君22歳と遭遇。彼はテントを携行しており適当な場所を見つけてテント泊する計画だった。

 ベセルは大学で建築学を専攻。卒業後1年間をギャップイヤー(gap year)として海外放浪中。ちなみに欧米社会では高校や大学を卒業してから進学・就職する前に一年間長期旅行をする若者が多い。これをギャップイヤーといって社会的にも認知されている。

 日本と異なりギャップイヤーを取っても就職で不利となることはない。むしろ見聞を広める有意義な期間と見做されている。


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