デュラスの雰囲気の良いホステル
3月7日。古代ギリシアの植民都市を起源とする海港都市デュラスに到着。旧市街には古代ローマ時代の円形劇場、ビザンチン時代の市場や城壁などがあり歴史を感じさせる。
投宿したホステルは、旧市街中央広場に面した広い庭の奥に半地下&二階建ての威厳と歴史を感じさせる佇まい。左右対称で二階の丸いバルコニーが特徴的である。
運営は感じの良い二人の若い男女のボランティアが担っていた。女子のルーシーはニューメキシコ州サンタフェ出身、男子のサイモンはニューヨーク州の州都オーバニー出身。ルーシーはフランス系米国人でパリジェンヌ的雰囲気。二人はカップルで欧州旅行の途上でデュラスが気に入ったのでホステルでアルバイトして既に3カ月。
ほかにゲストはシアトル出身のブラッド、シカゴ出身のエバンスの二人だけ。夕食はみんなで作ってシェアすることに。オジサンは酒屋でシャンパンとワインと地酒ラキの3本を購入して差し入れた。ちなみに3本で1200円くらい。
深夜まで宴会となり最後は記憶が飛んでしまった。翌日はドイツ女子のジュリアンも加わり日独米6人で再び宴会とあいなった。
ホステルはアルバニア現代史の舞台
ホステルの内部の調度品も凝っているので、由緒をルーシーに聞くと建物の由来が分かってきた。元々は地元の資産家が1920年代に建てた屋敷。1939年にムッソリーニがアルバニアを併合するとファシスト政権の地方本部として接収。デュラスは古代からイタリアからバルカン半島へのゲイトウェイとして重要な海港都市である。
イタリアが降伏して撤退するとナチスドイツが進駐して地方本部として接収。ドイツの軍政の拠点となった。ハーケンクロイツのナチスの旗が庭のポールに翻っていたのだろう。
さらに戦後社会主義政権が成立すると共産党地方本部となった。そして1990年に共産党独裁体制が崩壊して、紆余曲折を経てゲストハウスとなった。なんと私が二晩泊まった部屋がファシスト、ナチス、そして共産党のそれぞれの地方長官の執務室であった。
アルバニアの悲劇とマザーテレサ、国立博物館での隔靴掻痒
3月9日。首都ティラナのアルバニア国立博物館参観。古代ギリシア・ローマ時代だけ英語の説明があるが、中世以降はアルバニア語だけ。
現代史のパートになると強制収容所か刑務所か不明であるが拷問、処刑された無数の人間の夥しい数の惨い写真が並んでいる。アルバニア語の解説しかないし、学芸員らしき姿もないので質問することもできない。一部カラー写真があることから、ソ連邦崩壊後のセルビアによるコソボのアルバニア系住民虐殺なのだろうと推測した。
最上階にマザーテレサの特別展示コーナーがあった。マザーテレサはアルバニア出身である。どうして20世紀初めのアルバニアで12歳の少女がインドの貧民救済を思い立ったのか。その動機を知りたかったが写真展示だけでは不詳であった。
せめて英語解説があれば興味深い事実を知ることができたのに何とも残念。振り返って日本の博物館でも英語表記がないところが大半である。訪日外国人も展示物の意味が分からず隔靴掻痒の悔しい思いをしているのではないだろうか。