「今夜は私の家に泊まりなさい」
セントへレンズの海岸の公園での近隣の人々の新年会の最中に、二人連れのご婦人が通りかかった。彼女らも近隣の住民らしく、パーティーをしていた面々と新年の挨拶を交わしていた。二人はウェットスーツを着ており、海に潜って海藻を採集していたという。その海藻を花壇に敷くと絶好の肥料となるとのこと。
二人連れのうちの年配のほうのご婦人はジョイと名乗り、もう一人のご婦人はジョイさんの娘さんでヘレンさんと言った。小生の旅程を聞いてきたので「明日タスマニアの東海岸を南下してビチェノまで走る予定です」と答えると、ヘレンさんは「ビチェノまで75キロくらいだけど、海岸沿いの道は登り下りの連続よ。車でも1時間半以上かかるので自転車では難儀だわ。私が明日早朝出発してビチェノに行く予定なの。車の荷台に自転車を載せてあなたを送ってあげるわ」とのありがたいお言葉。
さらに「明日の出発時間が早いから、テントを畳んで荷物をまとめて今夜は私の家に泊まりなさい。それが一番よ」と母親のジョイさんが有無を言わせず段取りを決定。
「ええっ、90歳なんですか?」エリザベス女王と同世代!
午後3時頃、教えられた道順に従いジョイさんの高台のお宅に到着。荷物を整理して自転車を納屋にしまい、洗濯物を干した。4時前で、まだ日が高いのでジョイさんがお気に入りの場所を案内するとのオファー。
日本製のSUVを巧みに運転して十数キロ先の景勝地ビナロングベイまで軽快に飛ばす。日本人の感覚からするとスピードオーバー気味で臆病なオジサンは安全ベルトを締め直した。
ジョイさんは娘のヘレンさんが末娘と言っていたので80歳くらの年齢のはずであり、ひょっとしたら軽い認知症でスピード感覚が麻痺しているのではないかと心配になってきた。
「とても活動的な生活を楽しんでおられるご様子ですが、御歳はおいくつですか」と恐る恐る尋ねるとなんと御年90歳とのことで仰天。第一次世界大戦直後の生まれである。エリザベス女王とほぼ同じ年代!
ビナロングベイはホエールウオッチングの名所であり多くの観光客で賑わっていた。大きな岩を昇り降りして小さな展望台まで一緒にハイキングした。ご主人のダニーが存命中は二人で何度も歩いた“思い出の小径”であった。
クイーンズイングリッシュでエキサイティングな“おしゃべり”
ビナロングベイから戻りジョイさんのお宅で3日ぶりにシャワーを浴びた。欧米人の自宅でいつも感心するのは、訪問客が突然お邪魔しても室内が整然としていることである。ジョイさんのお宅も一人暮らしの老人の家とは思えないほど掃除が行き届き、整理整頓されていた。
リビングルームではジョイさんが先に夕食の準備を始めていた。オジサンもキッチンで持参した食材でパスタ&ソーセージを作り一緒にテーブルを囲んだ。リビングルームは北側に面しており、眼前には夕陽に照らされた海と入り江がいっぱいに広がっている。
夕食後音楽を聴きながら、紅茶を飲んでおしゃべりした。ジョイさんは環境問題のNPO活動に参加しており、マイクロプラスチックによる海洋汚染対策としてタスマニアでのレジ袋、ビニール包装、ファーストフード店の容器などについての法規制の進捗状況などを力説。
日本のマイクロプラスチック問題への取り組みと国民の関心から始まり、東京でのごみ収集システム、分別収集の経済的効果、などなど様々な質問が飛んできた。ジョイさんの知的好奇心は際限なく、話題は時事問題から信仰や宗教まで広がっていった。
ジョイさんの優雅なクイーンズイングリッシュは心地よいが、次第に自分がどのような話題に関しても浅薄で中途半端な受け答えしかできないことを思い知らされることになった。特に大乗仏教と小乗仏教の違いに関する質問では冷や汗が出た。
個別のトピックスについての知識が不完全であることは誰しも同じであろう。しかし教養のある人間、即ち真の意味での知識人であればどのような話題に関しても自分なりの見解、意見、感想などを述べて有意義な会話ができるということをジョイさんとのお喋りから学んだ。
これが世に言われている、いわゆる『老人力』というものではないだろうか。64歳にもなって、自分の未熟さを自覚した夕べであった。
ジョイさんの祖父と父は宣教師
ジョイさんはどのような人生を歩んで来たのであろうか。彼女の祖父は宣教師であった。明治の初期に日本で布教活動をしており、着物で正装した肖像写真が残っていたという。父親も宣教師となり南ア、香港、ナイジェリアで布教活動に従事。ジョイさんの一番上の姉は香港で生まれたよし。
その後父親はメルボルンの教会に赴任し、一家はメルボルンに定住。