2024年12月23日(月)

古希バックパッカー海外放浪記

2018年12月30日

(2017.11.4~2018.1.10) 68日間 総費用33万9000円〈航空券含む〉)

ポニー牧場の納屋の下で

開拓時代にセントへレンズと内陸部を結んだ山岳森林鉄道の機関車

 (承前)1時間ほど暗闇の中で自転車を押し歩きしていたら、森林が開けて牧草地が見えて来た。目を凝らすと星明りの下に人家と思しき影があった。近づくと犬が吠え立てたが無視して呼び鈴を押した。しばらくすると不機嫌そうな中年男が用心しながら家から出て来た。

 事情を説明して助けを求めると黙って納屋の電気を付けてくれた。納屋の軒先で早速チューブ交換作業に着手。持参した100円ショップで購入したチャチな万能スパナでガチャガチャやっていたが時間がかかる。主人は無言で工具箱を持ってきて自動車修理用のスパナを取り出して手伝ってくれた。お陰様で40分ほどで作業完了。

ポニー牧場の主人と宿無しオジサン

 主人は牧草地で小型の馬であるポニーの飼育をしているという。ポニーは主に子供の乗馬練習や遊園地からの需要があるらしい。母屋も納屋も作業小屋もなんとなく荒れた感じだ。

 大きな納屋には錆びた子供用自転車が二台と小さな滑り台が放置されていた。子供が巣立って、奥さんはどこにいったのか分からないが、現在は一人暮らしのようだ。人里離れた森の中で孤独な生活をしている彼は寡黙でぶっきらぼうだが根は親切な御仁のようだ。

 翌日早朝に出発することを伝えると握手して「OK,take care.Bye!」と母屋に戻っていった。納屋の軒先にテントを設営して携行していたポテトチップとチーズを食べてから寝袋にもぐると11時近かった。

 12月29日。早朝にポニー牧場を出立。セントへレンズの歯科診療所(dental clinic)に指定時間の10時前に到着。ドクターは37歳のインド人。30歳の時に家族と一緒にインドから移住。

 当時歯科医はオーストラリア全体では比較的不足していたが、それでも申請から許可まで2年近く要したという。現在後輩の歯科医が申請中であるが、審査が厳しく許可の目途が立っていないという。全体的にオーストラリアへの移住希望者が多くなり年々難しくなる傾向らしい。

地元のハイカーとオジサン

セントへレンズの穏やかな大晦日

 2017年大晦日は好天に恵まれセントへレンズの海岸も休暇を楽しむ家族連れで賑わっていた。セントへレンズは人口2000人くらいの小さな港町だが、タスマニア東海岸では最も大きい港町であり観光客も多い。

 港には季節のクレイフィッシュ(crayfish:ザリガニ)漁の漁船が何隻も係留していた。ホバートなど遠くの港から遠征してきている。

 元旦はスーパーが閉まるので早めに食料とワインを買い込んで海岸の公園に設営したテントに戻った。例によって公園のBBQハウスでタスマニア・ビーフ100%のハンバーガーをズッキーニ、タマネギ、トマトなどの地産野菜と一緒に焼いてタスマニア産赤ワインを飲んだ。

 ちなみにタスマニアのスーパーではTassie 100%とタスマニア産であることを“売り”にしている食料品が多い。オーストラリア人は自分たちのことをオージー(Aussie)と呼んで誇りにしているが、タスマニアの住民は誇りと親しみを込めてタジー(Tassie)という。

 こうして2018年元旦はセントへレンズの海岸で迎えることになった。

セントへレンズのビーチ

朝焼けじゃなくて山火事?

 午前4時頃目が覚めてトイレに立った。満天の南半球の星空を満喫。ふと気がつくと対岸の岬のあたりの空が赤く色づいている。東の方向であるが、朝焼けにしては早すぎるように思った。

初日の出の東雲かと思いきや山火事であった

 6時頃太陽が岬のほうから顔を出して明るくなってくると、森から煙が上がっているのが見えた。早朝散歩をしている地元のお年寄りに聞くと山火事(bush fire)だ。昨夜から消防団(fire brigade)が出動しているが鎮火していないという。


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