コトルのプパ・ホステル
3月10日。アルバニアのティラナからバスに自転車を積んで10時間かけてモンテネグロの世界遺産の町コトルに移動。コトルのプパ・ホステルは前年開業したばかり。オーナーのデミルは46歳のナイスガイ。
近くのレストランでチキンと野菜のグリルをテークアウトして隣のスーパーでビール、ワインを仕入れてホステルの快適なラウンジで仙台出身の素敵女子ナナちゃんとディナー。
彼女は東京でフツウのOLをしていたが飽き足らず英語を猛勉強。そしてアブダビに仕事を見つけ、現在アブダビ在住。今回は12日間で中欧巡りという精力的日程だ。4日間以上の休みがあれば必ず海外に出かけるという“攻めのライフスタイル”にオジサンも共感。
歴女とパスタランチ
翌朝小雨の中世界遺産の旧市街を散歩。大聖堂で首都圏出身のルリちゃんに遭遇。一人で卒業旅行としてバルカン半島を周遊中。ルリちゃんは歴女で各地の歴史秘話を掘り出すのが楽しいと歴史談義。
ルリちゃんは公務員として4月から社会人になるが、どうもあまり気乗りしない。数カ月前から中国語の勉強を始め、できれば将来は中国で仕事をしたいとか。
昼近くなったので一緒にランチをすることに。スーパーで食材と白ワインを仕入れてプパ・ホステルのピカピカのキッチンで調理。ラウンジでランチしていると中国杭州出身の林君がジョイン。さらに台南出身のエリー嬢も参加。こうして中国語と英語のチャンポン会話で賑やかなランチとなった。
共産主義の時代に賢く生きたオバアチャン
プパ・ホステルというネーミングの由来をオーナーのデミルに聞くと面白い物語があった。そもそもプパとはデミルの祖母のニックネーム。
モンテネグロは旧ユーゴスラビアに属し民族・言語的にはスラブ系である。第二次世界大戦後はチトー率いる共産国家ユーゴスラビア連邦を構成する一つの共和国となった。
当時祖母の家族は富裕であり屋敷には部屋が12室もあった。共産政権に接収されると家族自身が住む一部屋だけが祖母の一家に割り当てられ、残りの11室は政府に接収される。
一計を案じた祖母は11部屋を賃貸アパートにして貸し出した。こうして祖母の屋敷は接収を逃れることができた。
いつの世の中でも現実社会の変化に果敢に機智を以て対応してゆく人々がいるものだ。デミルは祖母にならって古民家を買い取り改装して一年前にホステルを開業した。
⇒第4回に続く
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