公立中学が挑む教育改革

2019年3月4日

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多田慎介 (ただ・しんすけ)

ライター

1983年、石川県金沢市生まれ。大学中退後に求人広告代理店へアルバイト入社し、転職サイトなどを扱う法人営業職や営業マネジャー職を経験。編集プロダクション勤務を経て、2015年よりフリーランスとして活動。個人の働き方やキャリア形成、企業の採用コンテンツ、マーケティング手法などをテーマに取材・執筆を重ねている。著書に『「目的思考」で学びが変わる 千代田区立麹町中学校長・工藤勇一の挑戦』(ウェッジ)。

昨日の自分より、今日の自分

澤:あのプレゼンでテーマにしていたのは「挫折・失敗・幸運・成長」です。思い返せば僕が子どもの頃になりたかったものは「運動会のリレーの選手」でした。僕はスポーツがまったくできなかったので、リレーに選ばれる同級生に憧れていたんです。

工藤:スポーツができないことに対して劣等感があったんですね。

澤:はい。僕が子どもの頃は、小中学校でスポーツができない男の子はモテなくて悲惨でした(笑)。でもそんな僕が、大人になってスキーと空手を始めたんですよ。自分はスポーツができないと思っていたけど、スキーと空手は上達できた。

工藤:スキーと空手を楽しんで続けられたということは、何かしら向いているものがあったんでしょうね。

澤:そうかもしれませんね。あとは高校受験の失敗談もしました。僕は3校受けたんですが、第一志望は落ちてしまい、第二志望は受験当日に男子校だと知って辞退、そこで仕方なく行ったのが滑り止めで受けた渋谷幕張(渋谷教育学園 幕張高等学校)でした。

麹町中学校の卒業記念講演で、自身の失敗体験を語った澤円氏

工藤:その話が出たときには、生徒たちの間にどよめきが起きていましたよね。「あの渋谷幕張に『やむを得ず入った』なんて、いったいどんな秀才なんだ」といった感じで(笑)。

澤:今は全国有数の進学校ですが、僕の頃はまだ設立されたばかりで、偏差値が50台の高校だったんですよ。その後は大学受験でも失敗しました。高校を卒業してしばらくはフリーターでしたからね。父親に言われて秋くらいから勉強して、何とか大学へ行けましたが、就職では文系なのにエンジニアという道を選んで苦労しました。「自分が何をやりたいか」なんて、その頃はほとんど考えていなかったんじゃないかな。

工藤:私も同じなんですよ。高校生の頃までは「これがやりたい」と思うものがありませんでした。なんとなく地球物理の研究をしたいとは思っていましたが、希望する大学は合格できず、東京理科大学の応用数学科へ進んだんです。教員を目指すようになってから、周りに同じ志望の人がほとんどいないことに気づいたくらいです。

澤:でも、幸運というものはどこからやってくるか分からないものですね。僕は文系エンジニアで苦労していましたが、インターネット時代が到来して一気にリセットされました。僕には「システムのことが分からない人」の視点がある。その視点で人に説明をするから、「澤の話は分かりやすい」と言ってもらえるようになったんです。

工藤:それまで自身で短所だと思っていたことが、インターネット時代の幕開けによって長所になっていったんですね。

澤:はい。生徒のみなさんにはこの経験をもとに「あたりまえを疑おう」という話をしました。今まではダメだと思っていたことが、何かのきっかけで花開くかもしれない。他人と比較する必要なんてないんです。「昨日の自分より、今日の自分」「今日から新しいスタートライン」。そんな気持ちで毎日を楽しむことが大切なのだと。

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