2024年11月22日(金)

トランプを読み解く

2019年3月23日

 マルクス主義の良き実践者である毛沢東も、農民に対し「地主・富農・中農・貧農」と細かく階層を設け、対立・分断を図った。しかし、毛沢東はいざ政権を掌握し、被支配者から支配者に転じた途端、被支配者となる広義的人民(労働者階級)に対して分断統治をはじめた。彼はでっち上げられた「人民内部矛盾」という概念を拡大解釈し、異見を唱える層を敵対勢力と見なし、その対立を「敵我矛盾」と位置付け、人民の力を動員して打倒に乗り出す手法を使った。文化大革命はその好例だった。

「分断」という概念は今日において、善悪のどちらかというと、悪に分類されるほうだが、その原初的意味、つまり「帝王学」における統治技術論の1つとして捉えられた場合は、むしろ中性的なもの、あるいは「必要悪」ないし「相対善」と位置付けられていた。

「トランプは米国民を分断させようとした!」。このような批判が世間を賑わせたところで、あえて「分断統治」を説く帝王学次元の冷徹な視線で見れば、善悪を分別する余地がないことが分かる。

ボールを国民に投げる

 トランプ氏の大統領就任演説。そのエッセンスは次の1節に凝縮されている。各メディアでは「国民に権力を取り戻す」などと訳されていたが、原文を吟味して私は独自に訳してみた――。

「今日の式典は、単なる政権交替でもなければ、政党交替でもない。権力の移行であり、権力を首都ワシントンからアメリカ国民に返すときであります。……長い間、国民がコストを負担しながら、政府関連の一握りの連中が甘い汁を吸ってきました。……」

 ボールを国民に投げる。国民はこれまでコストを負担しながら、一握りのいわゆるエリート集団が代わりに政策を決定し、その利益を独占してきた。ならば、コストを負担する国民が自ら政策を決定すればよい。このために決定権を国民に移行する。これによって、ボールをキャッチした側には、権力とリスクが双子として生まれる。代議制民主主義の下で政治家が取るべきリスクを、トランプ大統領は密かに国民に転嫁したのだった。

 TPPの離脱、メキシコ国境における「万里の長城」の構築、反グローバル的な保護主義。いずれもトランプ大統領の乱暴な愚策だと、エリート集団もメディアも一斉に批判しているが、この愚策の源は有権者の自己利益(個々の私利)の総和に過ぎないと、トランプ氏はそう解釈しているようにも見える。

 米国民の分断を危惧する声も多かった。いや、もともと分断されていた。そもそも異なる利益集団の存在が「分断」の証左だったのではないか。分断など消えたことは一度もない。さらに言ってしまえば、一定の分断を生かして被支配者を支配することは、帝王学の基本でもあると、トランプ氏はひそかにそう考えていたかもしれない。


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