2024年4月20日(土)

迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

2019年3月25日

「タテ社会」の人間関係による損得勘定

「先輩を崇拝せよ」と冒頭に書かれた「職場の鬼の十カ条」たるメモをもう一度考えてみよう。それを一方的に批判するだけでいいのか。

 上位者を崇拝することは、上位者を無条件に信用することだ。思考停止をも意味する。しかし、思考停止すなわち悪かというと、そう簡単に答えは出ない。論理的な議論をやめ、上位者に無条件に従う代わりに、上位者が守ってくれる。タテ社会の人間関係からは一定の秩序が生まれる。それが構成員に利益をもたらす場面も多々ある。いや、その利益目的でタテ社会の人間関係がつくられたのかもしれない。

 日本人が善とする「安心」や「保障」もある意味で、このタテ社会の人間関係から生まれている。たとえば、日大アメフト部の悪質タックル事件を例にしよう。2018年5月29日、日大アメフト部の部員たちは声明文を発表した。そのなかに、こんな一節がある――。

「これまで、私たちは、監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきてしまいました。それがチームの勝利のために必要なことと深く考えることもなく信じきっていました」(参照:観客席の悲劇、日大アメフト事件の本質をえぐる

 これはまさにタテ社会の人間関係の写実である。先輩や上司の指示について、それが正しいことかを考える余地がない。論理性どころか、善悪を基本的な倫理観で判断することすら本能的に放棄している。先輩や上司を崇拝する典型的な表現である。

 崇拝とは神を信仰する宗教次元の話である。宗教は信ずること、哲学は疑うこと。信じてからは疑えない。疑ってはじめて信じ得る。疑うことは、信じ得る根拠を得るための前提だ。しかし、タテ社会の人間関係はある意味で、哲学を排斥し、宗教を第一義的に捉え、「信じる」ことを善とする。

 上位者に対する信用や従属と引き換えに保護を受ける。見返りに利益や福利が期待される。日大アメフト部の部員たちいわく「深く考えることもなく信じきっていた」、そこに表出される思考停止の現象もこの法則とぴったり一致する。

 さらに、上位者への無条件の従属という延長線上で、上位者が指示や意思表示を明言しなかった場合には、「忖度」の必要性が生じる。忖度は一種の「思考」であるが、ただしその正体は物事に対する論理的思考や倫理的判断ではなく、上位者の本音となる意思を推し量る作業にすぎない。

 明示された上位者の指示に従う「低次・顕在的従属性」と、黙示された上位者の意思を忖度する「高次・潜在的従属性」という複合的従属性によって、組織内における保護や利益・福利を受ける度合が決まるというのが、日本式タテ型社会のメカニズムなのである。俗にいうと、「上のいうことを聞けば出世する」という仕組みだ。


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