2024年11月22日(金)

足立倫行のプレミアムエッセイ

2019年4月27日

「名歌」の再考も

 上古より武門の誉れ高い大伴氏本流の旅人が、62歳という高齢で筑紫に飛ばされたのは、新興勢力の藤原氏との政治的軋轢のせいと推察されるが、詳細はわからない。ただ、

 〈和が盛りまたをちめやもほとほとに寧楽(なら)の京(みやこ)を見ずかなりなむ〉(私の盛りの時代は戻ってくるのか、もう奈良の都を見ずに終わってしまうのではないか)のような歌を詠んでいるので、派手な宴や風流な歌会の底流に鬱屈した心情があったのは確か。

 「筑紫歌壇」とは、そうした心境で急に歌を詠むようになった地方行政のトップの下に、文芸好みの部下らが馳せ参じた集団なのだ。

 となると「名歌」の再考も必要となる。

 〈あおによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花のにほふがごとく今盛りなり〉(奈良の都は咲く花が匂い立つように今がまさに盛りだ)

 この歌は通常、小野老が一時的に帰京し、筑紫に戻って報告を兼ねた作とされるが、やはり苦しいほどの望郷歌と考えるべきか。


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