2024年11月22日(金)

ライフ

2019年4月26日

思うより短い子育て期、里山で親も子も育ってきた

 我が家が二拠点生活を始めたきっかけは、大の生きもの好きだった長男の「本物の生きものがもっと見たい」という飽くなき好奇心に応えたいという思いだった。当時、長男は6歳、長女は3歳、次女に至ってはまだこの世に存在せず、子育ては果てしなく続くような気がしていた。

 こどもたちが全員小学生以下だった頃が、二拠点生活の第1幕。毎週末、網を持って虫や魚を追いかけて、ありとあらゆる野草を調べて食べて、海に潜り山に登り、房総半島をしゃぶりつくす日々が続いた。動機が「子育て」だっただけあり、当初はこどもたちがキラキラと遊ぶ様子を“見る”のが楽しかったのだが、毎週付き合うとなると、もはや見守りの域を超えていく。自分が“楽しむ”ようになるのだ。

 例えば魚獲り網は、家族の人数分必要だ。じっとこどもの安全を見守る専任はやめ、彼らが自分で身を守る方法を伝えながら、親も水面を凝視する。親が本気で遊んでいると、むしろ子供はそれをじっと見つめる。そして、「これは本気で取り組む遊びなんだ」と認識して、さらに楽しみにハマっていく。

 そんな日々は、ある日、パタッと止んだ。台風が過ぎ去ったように。長男が中学に入り、虫より女子や部活に興味がいくようになったからだ。ここからが二拠点生活の第2幕。長男は自分の都合で東京に残るようになり、下2人の娘たちは本来やりたかったことをぼちぼち見つけるようになる。花びらでしおりをつくったり、タカラガイを集めたり、友達を連れてきて実はまったく怖くないはずの虫に「きゃー」と言って騒いだり。親は一抹の寂しさを感じつつ、変化を受け入れる。ああ、こどもは巣立つものなんだな、と気が付きながら。
 

トウキョウサンショウウオの卵。春になると、田んぼへ水をひく水路で発見する

 そう、「子育て」の要素が抜けても、親の中に自然と向き合う喜びは根付いたままなのだ。もっと言えば、実は大人の方が自然を味わう感度は高い。身につけた知識と培われた感性をフル回転させて、巡る季節を楽しみつくす。土を掘ると出会う虫も、子育てとは関係なしに自分自身の興味の対象だ。 今、我が家は二拠点生活の第3幕目だ。長男は大学生になり、友達と勝手に南房総の家に来るようになった。娘たちは自分の都合で来たり来なかったり。そんな中で、親は今でも変わらず毎週南房総に通い、まったく飽くことなく生きものを追いかけている。トウキョウサンショウウオの卵を見つけると嬉しくなり、写真を撮ってこどもたちにLINEで送る。カエルと戯れ、太いノビルを引っこ抜いて齧(かじ)り、ついでに東京に持ち帰って家族で味わう。

 人間や人間社会以外への興味の眼差しは、人間自体を相対視する眼差しそのものだと考える。人間なんて生きもののひとつだと思う視点があるかどうか。これがあるとないとでは、生きる世界の広がりも、命の力強さも、判断も変わってくる。

 こどもたちを育てながら、自然を味わうスキルを得て、自分自身も育てられた。このスキルは長い人生の中で何よりの宝になると確信している。


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