「何もかもコントロールできる、しよう、と思わない精神力」が養われる
そうして暮らしていくうちに、どこか、心がデンと据わってくる。ダメな時はダメなんだ。できない時はできない時だ。不合理でも仕方がない。いいタイミングを、待つしかない。自然という相手の都合にしんなりと自分を合わせることで、諦めと楽観を併せ持つようなメンタルが育っていくのである。
人間は、わがままが通ると、よりわがままになる。「もっと通したい!」となる。それはあまり幸せなことではない。合理的に生きるというのは、人間のわがままだとも言える。相手に合わせ、不合理も飲み込み、誰のせいにもせず、「まあいいさ」「そっちがそうなら、こうするさ」と思えるようになると、里山暮らしだけでなく、人生全体が柔らかく大らかになっていく。
例えば、何かの都合で仕事が立ち行かなくなってしまった時も、自分を削るように責め立てるのではなく、どこか「今は仕方ない!」と思えるのは、この暮らしの恩恵かもしれない。それはとても不謹慎かもしれないけれど、追い詰め過ぎて思考回路の隘路に入らないように自分をコントロールする力だとも言える。どんな状況でも生き延びるための、精神力である。
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何も特別にマッチョな暮らしをしているわけではなく、筆者の週末田舎暮らしはごく一般的なものだと思っている。それでも、平日の都市生活とは、だいぶ趣の異なるものではある。里山に抱かれた暮らしがカットインすることで、興味や心持ち、人生観さえ変化していく。
次回は、二拠点生活によって変化した人間関係についてお話してみたい。
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