2024年11月22日(金)

日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

2019年5月10日

李登輝が「二国論」を発した背景

 そんな折、海外メディアからのインタビュー依頼が舞い込んだ。

 李登輝に聞くと、当初は通常の、何ら特別ではないドイツの放送局によるインタビューの予定だったという。ところが、前もって提出された質問内容と、それに対して政府新聞局(当時)が作成した想定問答を目にした李登輝は驚きとともに怒り心頭に発した。要は、台湾があたかも「中華民国の一省」である、という立場による回答だったからである。

 ただ、李登輝はこれを千載一遇の好機として利用することにした。事前提出された質問内容には、李登輝が進める民主化や、中国に返還された香港を念頭に、「現実的に、台湾にとって独立宣言はハードルが高く、香港のような『一国二制度』を受け入れるのも難しい。ではその折衷案はあるのか」という問いがあった。

 政府の新聞局が作成した想定問答は、これまで李登輝が進めてきた政策を真っ向から否定するようなものだったため、李登輝は自ら鉛筆をとって想定問答を作ることにした。そして同時に、台湾はもはやこれまでのような「中華民国の一省」という立場ではなく、もちろん中国大陸とも何ら関係がない、ということを国際社会に向けて発信するまたとない機会として利用することにしたのだ。

 そうして李登輝の口から発せられたのが、中国と台湾は「少なくとも特殊な国と国との関係である」という「二国論」であった。非常に微妙な、「少なくとも特殊な」という言い回しに、李登輝が脳みそを振り絞って導き出した苦労が見て取れる。

 この「二国論」発言から今年でちょうど20年になるが、台湾を考えるうえでこの発言の内容は大いに参考になる。李登輝自身が台湾あるいは中華民国の地位をどのように捉え、どういった方向に導こうとしたかは、台湾が歩んできた歴史そのものと重なる部分が大きいからだ。

 日本では「少なくとも特殊な国と国との関係」という一句だけが有名で、他の部分はあまり知られていないこともあるので、もう少し内容を紹介してみたい。


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