2024年12月11日(水)

Wedge REPORT

2019年5月26日

 働き方改革の中には高齢者の活用が入っている。5月15日には政府は「未来投資会議」で、70歳までの雇用確保を企業に求めている。けれども60歳、65歳、70歳になって希望するような職につくことができるのだろうか? 甚だ疑問だ。現実の一例として筆者の恥ずかしい体験の数々を読者だけにこっそりと教える。求職者、企業経営者、政策に携わる人々はそれぞれの立場でぜひ参考にしてもらいたい。

 昨年の今頃私は大学生の息子とアルバイト合戦に興じていた。どちらが短時間で儲けることができるか? (別の表現では、額に汗水垂らさず儲ける)の勝負をしていた。

(Aleutie/gettyimages)

あああ、こんなはずではなかったのに…

 その1年半前まで私はあるプラント系の会社に請われてベネズエラにいた。熱海を思わせる景勝の、けれども犯罪が多発するようになった海辺の町で、中国企業と韓国企業のお目付け役をやっていた。ベネズエラのPDVSA(石油公社)の中のインハウス・コンサルタントだった。その仕事がひとまず一区切りつき、帰国時にフランスでテロの温床といわれるパリ郊外のサンドニを取材し、レバノン・シリア国境まで足を伸ばし、帰国した。フリーランスなのに、まるで定年退職するかのようにちょうど60歳だった。

疲れた、ゆっくり休もう! 

 1年ほど晴耕雨読、時々執筆の生活を決め込んだ。ところが、机に座るのもさすがに飽きてくる。懐も淋しくなる。同じ会社に30年、40年と勤めていたサラリーマン/ウーマンならば退職金がもらえ、失業保険もある。途中からフリーになった私はそうもいかない。

 時々行う執筆の稼ぎなど微々たるものだ。年間60万円に満たない。時々書いていた「新潮45」は、見よ! 休刊になってしまった。書籍の企画もまったく通らない。出版業は超不況、衰退産業の最たるものだ。40年間続けている株式の売買の利益のほうがずっと多い。といっても100万円弱だ。年収160万円では暮らせない。生命保険を解約してみると、懐に入ったのは100万円ほど。もちろん一回限りの収入でしかない。

 さらに外に出て人と話さないと頭の働きも悪くなる。原稿を書いていれば頭が活性化されると期待していたが、そうでもない。簡単な日本語が出て来ないことがたびたびだ。もう認知症の門口に入っているのかもしれない。

 それに「100歳まで馬車馬のように働きなさい!」と妻も鬼の形相だ。考えてみると、60歳時点で同一企業に残らなかった人は、私と同じような境遇にいつかはなる。年金の受給開始年齢は私の世代は62歳だ。だがもっとあとの世代は65歳。まもなく70歳になるのは明白。

しかがたない、よし、職探しをするか!

 というわけで、重い腰を持ち上げた。幸い、働き方改革の中には高齢者の活用も入っている。妻と違い優しい政府は「高齢者の経験知を大切にする社会を目指しているのだろう」と善意に解釈した。そこで少しぐらい収入が減っても社会に役立てばと、珍しく真摯な気持ちになり、雨後のタケノコのように存在する人材派遣会社の転職サイトに闇雲に登録し、ハローワークも訪れ、これぞと思う企業に応募しはじめたのだが……。

 派遣労働でさえ勤労の扉はどこもかしこもぴっしりと閉まっている。あるいは搾取の名に値するスズメの涙の賃金。流行りの顧問職も何ら声がかからない。

 試しに政府や、一部経済誌が「素晴らしい多様な働き方」と賛美するギグ・エコノミー(短期・自由就労)をやってみたら、惨憺たる結果に終わった。なんと時給ゼロということもあった。

 そんな悪戦苦闘の中、高齢者に相応しい職をさぐり続け、高齢者アルバイトに従事してみると、日本社会の今と未来の一端が見えてきた。

 さあ、これはあなたの明日だ!

大学の先生を目指してみた

 給与がそれなりで高齢者でも受け入れてくれる職といえば、大学の教授や准教授のポストぐらいしかない。一芸に秀でている人は可能性がある。私の周辺では企業から、あるいは執筆の世界から准教授クラスの席に納まっている人間も多々いる。

 「彼らにできて私にできないわけはない」と裏付けのない自信に駆られて、人材派遣会社からのメールをクリックしてみると、相応しいポストがあるではないか。都内有名私立大学の講師・准教授の公募だった。専門は「移動論」、スペイン語も教えるのだという。〈学際化〉、〈臨床化〉、〈国際化〉が柱としている学部らしい。

 たちまち私の耳奥で勝利を確約するリヒャルト・ワーグナーのワルキューレの騎行が景気よく鳴り響いた。


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