そもそも学際化(=さまざまな領域にまたがる学問)は、かつて私が属していて、バブル崩壊後の混乱の中コストカッターとして伊藤忠商事の社長についた丹羽宇一郎氏が「選択と集中」という潤色された標語を使い、血祭りに上げた多くの関連会社のひとつ、すなわち、あとかたもなく消え去ったCRC総合研究所が作った言葉である(そうある上司は自慢していた)。
丹羽氏はその功績が認められ後に中国の大使となったが、1000人ほどの社員たちはちりじりばらばらになり、他の研究所に拾われたり、大学で教鞭をとったり、吸収されたCTC伊藤忠テクノソリューションズの社員になったり、私の場合は一時のホームレス専門家になった。本サイトでは主に国際時事を書いているが、もとはといえば『ホームレス入門』『サラリーマン残酷物語』『リストラ起業物語』などの社会・労働系の拙著が多く、新聞や雑誌のコラムで書くのもこのジャンルのものだ。
国際化、臨床化。これもぴったりだはないか。
自身、内外を移動に次ぐ移動、北海道→東京→千葉→東京→メキシコ→エクアドル→ペルー→東京→ボリビア→ブラジル→チリ→アルゼンチン→ウルグアイ→パラグアイ→ベネズエラ→イギリス→ポルトガル→スペイン→タイ→日本→フィリピン→日本→グアテマラ→ミャンマー→インド→中国→香港→マカオ→スペイン→モロッコ→ポルトガル→サウジアラビア→トルコ→マレーシア→マーシャル諸島→ソロモン諸島→ホンジュラス→チリ→エクアドル→アメリカ合衆国→ベネズエラ→キュラソー→パナマ→フランス→イギリス→スロバキア→カタール→ベネズエラ→ブラジル→ボリビア→フランス→レバノン→日本。
おおよそ20代~60歳までサーカス団の一員のように世界中をドサ回りしてきた。
その間、メキシコ1年、ボリビア側アマゾン2年、ベネズエラ6年、カタール1年弱滞在し、アマゾン流域の小村を20年振りに訪れ、友人たち数人が海外に移住し、知人女性はコカイン密売容疑で刑務所に移住し(収監され)、チャべス一味とその末裔の現大統領マドゥロにめちゃくちゃにされたベネズエラからは、スペイン、チリ、コロンビア、エクアドル、ブラジル、ペルー、米国へと、ディアスラに相応しい夥しい国民が逃げ出していた。
友人たちは、国内にとどまれば、食べ物も薬もない、みじめな生活が続くか、犯罪の餌食になるのが関の山だった。懇意にしていた同僚の女性はエストニアに移民する一週間前に、夫とともにコンクリートで固められた地中の中から、無残な姿で発見された。また、内戦から逃げてきて、もっと状況の悪いベネズエラに来たことを後悔しているシリア人数名とも知り合った。
自身と友人が移動しているのだから、移動については専門といえる。脳裏を脈絡なくこれらのキーワードらしきものが駆け巡ってゆく―。
新自由主義、それに反発する社会主義、内外の政治経済の変動、出稼ぎ、移動、移民、仕事の取り合い、排他主義、携帯電話他の情報技術のもたらした利便性と、その裏にある人の軽薄化。カーと頭に血が上り、さっそく、今後の研究計画の概要と教育に対する抱負を書いた。
今見ても素晴らしい出来だ。
私が研究テーマとして焦点を当てたのは、人、物の移動よりも思想の移動だ。社会主義、共産主義、新自由主義……これらは様々な国に伝播し、結局は政府が自身の政権維持のためのバックボーンとして、多くの場合、換骨奪胎して利用してきた。
それは人権の破壊、経済の破壊、国の破壊あるいは目の眩むような格差をもたらし、そのことが人を移動させたのである。それらに知識人、研究機関、大学、国際機関、マスメディアはどう係ってきたのだろうか?
また、教育・授業に関しては、次のようにもっともらしいことを書いた。
“絵画、写真、ビデオ、音楽、書籍、援助レポートなどを活用し、生徒の価値観を揺さぶり、なぜ? という疑問を抱かせ、かつ他人事としないためにも、援助・投資・旅などの場を設定して臨場感を出し、ロールプレイや対話を駆使し、推測、実証、将来予測という調査研究の流れに沿うものとする。こうして実業、政治行政、マスメディア、研究などの分野で活躍する人材を輩出する“。
ほら、これもいい出来ではないか。
こんなふうに研究計画の概要と教育に対する抱負を書き終え、次に履歴書に教育活動と研究活動にあたる著書11冊(論文ではなく一般書)、新聞、雑誌、ネットマガジンにのった最近の記事50本ほどのタイトル、国の各機関に提出した援助や投資に関する共著のレポート10、講演活動やテレビラジオの出演歴、わずかな教育活動などを記載し、著作の中の5つを選んで、大学に送った。
自信たっぷりだったが、冷静な妻は、「博士でも修士でもないし、むずかしいじゃないの。それに公募なんていっても最初から決まっているのよ」と懐疑的だった。
冷酷なメールが私の無謀な試みに結末をつけた
数カ月後に妻の予言とおり「貴殿の場所はありませんよ」との冷酷なメールが私の無謀な試みに結末をつけた。ワグナーの「ワルキューレの騎行」は、耳の奥からあとかたもなく消え去ってしまったのである。
「ああぁー」
募集要項の書類を用意するまで少なくとも1カ月は時間がかかった。必要経費もかなりのものだ。近々の世界の経済史、政治史など数冊を読み込み、応募要項にそった書類を用意し、拙著(無料だ!)とともに郵送したのだ。
このとき、私が思い出したのは、ホームレス取材のときに出会った私よりもずっと教養のある路上の哲学者の言葉だった。
「自己認識はすごく高いけど、社会の認識はずっと低いんです。その落差がホームレスになった一番の理由です」
私も第三者から見たら、痛い、いたい、イタイ人だ。
もう大学教授を目指すのは止めよう。これほどぴったりの経歴でも、修士・博士の称号や論文が必要か、あるいは本が売れて著名人になっていないと大学側にはうまみがないのだろう。
やっぱり前職を目指そう。
私はこれまでもっとも長く経験している海外事業、援助、コンサルタントを中心に履歴書を送り続けることになる。
『大転換 市場社会の形成と崩壊』カール・ポラニー
『隷属への道』 フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク
『選択の自由 自立社会への挑戦』ミルトン・フリードマン、ローズ・フリードマン
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・ パーキンス
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