4月16日。昨年の北海道胆振(いぶり)東部地震の震源地に近く大きな被害を受けた北海道勇払(ゆうふつ)郡むかわ町の穂別博物館で、約7200万年前の白亜紀後期にこの地で生息していた恐竜の全身復元骨格標本が報道陣に公開された。体高3・6メートル、体長8メートル。監修は北海道大学総合博物館教授の小林快次。日本で初めての恐竜学者で、新種を数多く発見し今や世界で注目されている小林は、黒のパーカーに登山靴という、象牙の塔の学者のイメージを完璧に覆すいでたちで軽やかに現れた。北の大地のさわやかな風が吹き抜ける研究室には、時折風鈴の音が響く。
全身の8割を超える骨が見つかった日本の恐竜研究史上最大の発見は、2011年に尾椎骨の一部が小林のところに持ち込まれた時に第一歩が踏み出された。
「ひと目見た時に、恐竜だと思いました。でも事が大きすぎてしっかり検証できるまでは発表できないので黙っていました」
そもそもこの化石が発見されたのは、03年のこと。小林のもとに届くまで8年もかかっている。地元むかわ町穂別の化石採集家が見つけ、穂別博物館では過去にも発見されている大型海生爬虫類クビナガリュウの一種と判断し、収蔵されたままになっていたのだった。事態を動かしたのは、クビナガリュウの研究者が博物館を訪れ、この化石に目を止めたこと。何か違う。もしかしたら恐竜ではないか。そして、本当に恐竜かどうかの判断が小林に委ねられたのである。
「クビナガリュウは、『ドラえもん』の映画(『のび太の恐竜』など)に出てくるピー助のような絶滅した海の爬虫類ですね。当時海底だったところから発見されたので、陸に住む恐竜だと考えにくかったのでしょうが、届いた骨を解析したら緻密でがっちりしていた。海で生きていたらもっと骨がスカスカのはずです。外国のデータも集め、2、3カ月でこれは恐竜の骨の一部だと確信しました。骨から大体の大きさも想像がつきました」
それでもまだ小林は発表を控えた。はやる心を抑えての慎重さがこの発見の重大さを物語る。小さな骨の続きがあるのではないか。
「海の近くで暮らしていた恐竜が津波か洪水か何らかの理由で沖に流されて、漂流せずに海底に沈んだ場合、風化が進まずに全身の骨が残る可能性があるんです」
しかし8メートル級の恐竜化石の発掘調査となると、ハンマーとツルハシだけでは不可能。重機や削岩機なども必要になり人手も期間も予算も投入しなければならない。準備に1年かけ13年9月からの第1次発掘開始が決まり、穂別博物館と北海道大学が共同で記者会見。この時点で初めて日本中が恐竜化石の存在を知ってびっくりしたというわけだ。