2023年2月8日(水)

この熱き人々

2019年7月26日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「もちろん恐竜学者になろうなんて思ってもいなかったです。化石掘りはあくまで趣味にして、化学が好きだったからそっち方面で就職しようと思ってました」

 ところが、本人が化石から距離を置こうとしたちょうどその頃、福井で横浜国立大学を中心に恐竜化石を探す発掘調査が行われ、新種のアンモナイトの発見などで化石好き少年として知られていた高校1年の小林も誘われた。距離を置くはずなのに、断れずについ参加。この時、福井で初めて恐竜の化石が発見されたので、期せずしてその瞬間に立ち会ったことになる。後にフクイラプトルと名づけられた小型肉食恐竜である。

 「でも、恐竜少年というんじゃなかったなあ。名前とか知りたいとは全然思わなかったし。その頃の僕は本当に優柔不断で、何となく発掘に参加して、誘われて何となく横浜国立大学に入って、それも化学ではなく地学。あれ
っ? ここじゃないんだけどと思いながら、4年で卒業して就職しようと決めていた。そこに福井の博物館の研究者の方から『アメリカに行かないか』と電話があって、旅行かと思って『行きます』と答えたら、『恐竜の研究はテキサスがいい』と言われて。あれ? おかしいな、留学だったの? と慌てながらも断れずに行ってしまった」

 1年我慢してうまくいかなかったと言い訳して大学に戻り、普通に卒業して就職するのだと自分に言い聞かせていたという。

 「人に勧められてつい動いちゃうんだけど、自分の内面が一致しない。この1年が精神的に一番つらかったですね」

 〝計画通り〟に1年で帰国した小林は、なぜか2カ月後に再びアメリカに戻っている。

 「悩んでてすごくセンシティブだった時、大学の図書室でふと子供用の恐竜図鑑を手に取ったんです。見ていてときめきがあった。人から化石好きでしょ、恐竜好きなんでしょと言われて流されていると思っていたのに、素直に面白いと思ってときめいている自分がいたんです。これだったのか! と思えて、アメリカに戻り、もうそれからはまっしぐら。勉強が楽しくて仕方なかったです」

 逃げ出したくても何となく引き戻されてきたのは優柔不断だったのではなく、無理に封じ込めてきた化石への思いや恐竜への興味が必死の抵抗をしていたからとも思える。偶然の重なりのようでいて、実は小林にとって恐竜の世界への道は必然だったのかもしれない。

わからないから面白い

モンゴルの発掘現場(坂田智佐子=写真)

 現在も1年の3分の1はアラスカやモンゴルやカナダのフィールドに出ているという。荒涼とした過去に続く地層を、ストック2本を手にひたすら歩く。

 「滑落で肋骨を折ったこともあるし、熊と遭遇することもあります。探検家みたいです」

 化石掘りが大好きだった少年の姿が浮かび上がる。そこに、一つの発見からさまざまな情報を解析して日本から生のデータを発信する現在の研究者の姿が重なる。

 


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