日本の政治家の「馬鹿さ」は計り知れない
先に戸水は日本の「恐露病者」について言及していたが、じつはロシア側にも恐日病者が見られるようになってきたと記す。
「近頃までは格別日本人を恐れて居無かりた様ですが日清戦争に於て日本人は甚しき武勇を著はし」ただけではなく、「北清騒動」、つまり義和団事件(1901~02年)に際して自国の利益と居留民を守るため、日本・ロシア・イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・オーストリア・イタリアの8カ国が天津から北京一帯に共同出兵し、義和団を制圧しているが、なかでも柴五郎率いる日本部隊は「(8カ国の)聨合軍中無類の武勇を顯はし」た。加えて日本人が持つ地図が極めて正確だと評判であり、満州で日本人に正確な地図作りでもされたら大変だと考える。それというのも「他日、日露戦争の起る時日本人は又此精確の地図を用ひるだらうから今から防禦の策を講す」る必要がある。だから「日本人を満州に入れないのが上策だと」して、「露西亜人は上下挙て日本人の満州に入ることを妨害する」。「特に軍事探偵を恐れ」、「屢ば日本人を捕へる」。
「若しも日本の陸軍が弱小であるならば露西亜人は日本人を恐れない」。だから「日本の方より言はば陸軍を弱小にすることは得策では無い」ということになる。
じつは「日本の或政治家が露西亜の蔵相に逢つた時」、ロシアの蔵相は頻りに「『満州で日本人を歓迎するから沢山来る様にして下さい』と言つたさうで其で日本の政治家は大いに悦んで「『だから戦争などせなくても善い』と人に吹聽したさうです」。そこで戸水は、「(ロシアの)蔵相のずるさ加減と日本の政治家の馬鹿さ加減はちよつと測量が出来ませぬ」と嘆き呆れる。
「(ロシア)蔵相のずるさ加減」対「日本の政治家の馬鹿さ加減」という図式は、いったい、いつまで続くのだろうか。
「戦争をして善いか悪いかは別問題として日本人が平和的に満州に入り平和的に満州に居住し平和的に商工業又は農業に従事して金を儲けることが出来ると思ふのは頗る迂闊です」と説く戸水に従うなら、「特別な仕組み」を考えたところで、我が固有領土である北方4島の一部で日本国民が平和的な経済活動に従事すること「が出来ると思ふのは頗る迂闊」ということになるわけだ。
いよいよ戸水の旅は「(人口)八万の内五万が支那人で三万が露西亜人」という人口構成のハルピンへ。そのハルピンで行政の衝に当るロシア人高官は「何ても喰へない古狸」だった。
当時のハルピン在住日本人は506人(男:269人、女:237人)。職業は商業、写真、ラムネ製造、大工、石工、洗濯、貸席、視察員、語学実習、裁縫業、時計商、理髪業、行商に加え「露清人の雇人」など。「貸席の女が百七十五人」だけがロシア人に歓迎されているが、他は「実に邪魔に思はれています」。
「『ハルピン』に留まる日本人の半数位は探偵と見て宜いなどと勝手な事を言つて居」るロシアの要人もいる。そこで日本人に対し「どしどし圧制を加へ居る」。「唯日本人が支那人と喧嘩をすると云ふと巡査などは日本人の贔負をすると云ふ」。だが、別に日本人の肩を持っているわけではない。「日本人の贔負をす」れば、「些少はカネになると云ふこと」だからだ。
戸水はハルピンにおける土地所有問題を一例にして、ロシアでは如何に日本人が不当な扱いを受けているかを縷々説いた後、どうやらロシアと清国の間では秘密条約が結ばれているゆえに清国人は優遇されていると推測する。
「事情既に此に至りたものとすれば日本の役人が(ロシア官憲に)向て何と理窟を言つても其理窟は糠に釘です」。だから「日本人の主張を通ほす積ならば日本の中央政府が戦争するの覚悟でうんと露西亜の中央政府に交渉せねばならぬ」。だが交渉によって「日本人の主張を通ほす」ことは困難だから、これまで戸水が説いてきたように「満州を取る考へで戦争する方が善いでせう」と、なんとも勇ましい。
当時も当然のように我が国には反戦・非戦論者はいたわけで、であればこそ戸水は「私が戦争論を主張しますと直く新聞などであの陳腐な戦争論などと言つて冷かされます」が、ならば「あの連中の平和論は新奇ですか」と反論してみせた。