支那のために尽くしても「徒労」に終わるワケ
現地を歩いた戸水は、土地の取得・賃貸、商売など当時の東シベリアでロシア人、清国人に較べて日本人は不当に差別されていると痛感した。
要するに「日本人は営業の自由を失なつています」。「『ダルニー』に於ても露西亜人は决して日本人を他の外国人と同等の地位に置いて無い」。ロシア官憲のなかには「日本人の贔負をしたいなどと旨い事を言つて居ますがそんな言は当になりませぬ」。だから「日本の中央政府の手腕を煩はさねば」ならない。事が起った後で「外交談判など遣りて居ては遅蒔です」。「幾度言つても同じ事」ではあるが、「日本の中央政府は今日でもうんと強く腰をすゑて雄腕を奮ふて善からう」と力説する。とはいえ、猪突猛進したところで悲惨な結果が待っているだけ。「うんと強く腰をすゑて雄腕を奮」う体制を支えるのは、やはり透徹した大局観だろう。やはり一時の勇ましさは、禍根を末代まで残しかねない。
ある時、戸水は「露西亜騎兵の訓練を見」る。そこに参加していた「支那の巡査の背を見ると云ふと奉天懐徳県馬隊と書いて有る」。この事実から、「露西亜人は満州の騎兵を頤で使つて鉄道の番をさせ支那人の取締をさせているのです」と結論づけた。当時の満州はロシア人の天下と化していたわけだ。
戸水は、その満州を「平地と天と連なりて茫々漠々たる原野か沢山有」ると形容し、「満州を占領するものは宝の庫を掌握するものであります」と力説する。「私が始めて満州を占領す可しの議論を吐いた時に日本の政治家中冷笑して私の議論を駁擊したものがありて『あんな荒漠なる土地を取りても益に立たない』と言つて駁擊しました」。だが、こういう議論こそ「『のんせんす』でありました」。「満州の大半特に東部は至て豊饒です政治家にして之を知ら無なかりたのは迂闊です」と切り捨てた。当時はともあれ、現在でもなお多くの、いや大部分の国会議員センセイ(敢えて政治家とはいうまい)が「迂闊」なままに振る舞っていることか。
戸水の旅は次いで満州王朝の古都である奉天(現在の瀋陽)へ。
「奉天には支那の将軍もあり副将軍もありて支那兵が数万ある様に聞いて居ましたが」、実際に目にしてみると、「支那人は沢山ありても其武器は概して益に立た」ない。「満州西部に於ける露西亜兵の重なる根据地は奉天に在るものと見え」、それゆえに奉天においてはロシア人が許可する以外の武器の携行は不可である。だから「支那兵の武器は馬賊の武器に劣ると云ふことです」。ここからも戸水は「満州は矢張り露西亜の権力の下に在ります」と念を押す。
やはり「宝の庫」であるゆえに、満州は将来の日本にとってこそ「宝の庫」。ならば、このままロシアの振る舞いを拱手傍観しているわけにはいかない。だが「之を治むるには小心翼々ではいけない」。「是迄の日本流」を脱し、「矢張り大胆で豪放で露西亜流で遣らなけれはなりませぬ」。とは言え肝心の「大胆で豪放で露西亜流」が、日本人は不得手なのだ。
「今後日本に於て何事を為すにしても世界の大勢」に合わせなければならないし、「特に東洋の事情に通するのが必要だと思います」と、国際情勢を無視しての軽挙妄動は厳に慎むべしと釘を刺すことを忘れてはいない。やはりカラ元気の無手勝流は日本国内でしか通用しない、ということだろう。
戸水の旅は、やがて北京へ。
第一声は、「支那に居りて感じたのは政治改革の困難です」との断言だった。
北京では先ず「北京大学堂の服部博士、巌谷博士(中略)に逢」った後、日本人教師による教育は「前途に余り多くの望みを属して居ませぬ」と考えた。それというのも日本語を解さない「支那の学生に向て日本語で講義」するから、通訳を介さなければならい。当然のことだが「そんな事では支那の学生をして深遠なる学理を解せしむることは六ヶ敷でせう」。
服部らは当時の最高学府の北京大学堂に乗り込んで日本式教育を施し教育改革を試みているものの、それはむずかしい。これまた当然というべきだ。
また戸水は「真に支那の政治を改革したいと思つて居る人は沢山は居無い」と見做すから、「支那に居りて感じたのは政治改革の困難です」と結論づける。
戸水によれば、清朝中枢は「大抵は日本人が強いか露西亜人が強いか分らぬ」。だから「断乎として日本人を採用して支那内治の改革を企図する如きことは為」すわけがない。「支那人に対して親切を尽」したところで、「支那人は日本人を近けて内政の改革を為し得無い」。ならば「支那人に対して親切を尽」しても徒労以外の何物でもないことになる。
やはり「支那人が実際日本人の価値が分ら無ければ是亦致方の無い話です」。だから「今日の処では躍起となりて口舌を以て日本風の文明を支那に輸入せうとしても功を奏しませぬ」。たとえば先に示した北京学堂にしても「今日の處では告朔の餼羊たるに過ぎ無いと思います」。いわば服部らの努力は「告朔の餼羊」、つまり形だけ、徒労、ムダということだ。