「伝わる」コミュニケーションとは
「ひとりになって改めて、自分のデザインは何? と自らに問いかけたら、誰かの後追いをしていただけで自分のデザインなんて何もなかったことに気づいたんです」
そんな中で出会ったのがサインデザインだった。サインデザインの仕事を続け10年経った頃、廣村の元に田中から「今何をやっているんだ」と電話があった。それまでの仕事を持って田中を訪ねると「サインデザインの本を作れ」と一言。おそらく追い出した廣村のことを時々は気にして、仕事ぶりも見ていたのだろう。この1冊が、廣村のデザイナーとしての足場になったと考えれば、温かいのか冷たいのかよくわからないが不思議な絆で深く結ばれた師弟関係だったのは確かなようだ。
「その本が出版された時、田中先生はすでにこの世にいなかったんです」
見せたかったという廣村の思いが言葉に滲む。デザインのことを何も知らないままデザイナーへの道を歩き出した廣村は、ずっとデザインとは何だろうと悩みながら生きてきて、今もまだ悩んでいるという。ただ、その悩みは五里霧中を突き進む不安ではなく、前方にデザインの新たな可能性をつかんでいて、どのように到達できるか道を探す、模索の喜びとも受け取れる。
「デザインは、テクノロジーや科学と結びついてもっと発展するかもしれないと思っています。伝えると伝わるは違う。伝わるという部分を分析していくと、デザインは脳科学に近づいていく。次のステージに何があるのか知りたいし楽しみでもあります」
現在、事務所では大小数十の案件が常に動いているという。そんな中で、富山県立美術館での「わたしは今どこにいる? 道標(サイン)をめぐるアートとデザイン」という企画展に出展したり、不定期ではあるが「ジュングリン」と名づけられた映像インスタレーションも発表している。
「〝順繰り〟に現在進行形のingでジュングリン。順繰りは日常生活。いつもと同じ淡々と流れる脳にストレスのない順繰りの中で、脳が反応する場面。利き手が使えなくなった時、いつもと違う道を歩いた時など、これまで感じなかった気づきの瞬間。それをデザインと呼んでいいのではないかなと自分では思っているんです。それを非日常の中ではなく日常の中で生み出したいなという思いが、ジュングリンなんです」
あまりに奇抜になってしまうと、驚きはあってもふっと引き寄せられるような共鳴は生まれにくい。アートと違いデザインには着地点が必要で、廣村のデザインの前で人がふと足を止めたり、表情が緩んだり引き締まったりするのは、ジュングリンの気づきを共有できるからなのかもしれない。
石塚定人=写真
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