この熱き人々

2019年9月25日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

◉ひろむら まさあき:1954年、愛知県生まれ。田中一光デザイン室を経て、88年、廣村デザイン事務所を設立。グラフィックデザインを中心に美術館や商業・教育施設などのデザイン計画やサインデザインを手掛ける。主な仕事に横須賀美術館、すみだ水族館のサインデザイン、名古屋城本丸御殿のアートディレクションなどがある。
 
 
 
 
 

 東京2020まで5100日となった3月。史上最多となる33競技50種類のスポーツピクトグラムが大会組織委員会から発表された。それぞれの競技の特徴が凝縮された躍動感あふれるデザインを目にすると、日本に再びオリンピックがやってくるのだという気持ちも躍ってくる。

 「あれって、ピクトグラムっていうんだ」と初めて知った人も多い。1964年の東京大会で初採用され、当時は絵の標識というような理解だったが、今では絵文字という日本語で表され、実は日本が公式スポーツピクトグラムの原産国なのだという。

 グラフィックデザイナーの廣村正彰が参加する開発チームが、コンペを経て制作を委託されたのが2年前。50種類のピクトグラムは、2年という長い時間をかけ練りに練って開発された結晶だったのである。

 「64年の原点を踏襲しリスペクトしながら、東京に戻ってきた今回、全く新しいピクトグラムを作るという考えで臨みました」

 56年前。アジア初のオリンピック開催で、世界各国から言葉の違う人々が大挙して日本にやってきた。言語を超えて必要な情報をどう伝えたらいいのか。文字を使った標識では膨大な数になってしまうが、絵を使えば万国共通の理解が可能になる。その結果生み出されたピクトグラムは便利で使いやすいと評価され、次のメキシコ大会からはそれぞれの国が工夫を凝らしたデザインで使われ続けている。

現代の日本らしさを凝縮

 さて、50種類の絵文字はどのようにして形になっていったのだろうか。

 「まず膨大な映像や写真を見ることから始まりました。各競技の特徴や身体の動きをつかみ、それをどう表現していくのか。さらに歴代オリンピックで使用されたピクトグラムも参考にしました。国の威信をかけたイベントでもあるので、それぞれの国ならではのもの、例えば北京大会は漢字の原型である甲骨文字の流れをくむ篆書体、アテネは古代ギリシャの石像、シドニーはブーメランをモチーフにしています。日本らしさとは何なのかと議論も重ねました」

 その過程で、江戸時代の絵画やひらがななど、さまざまなアプローチを試みたという。そして、競技の本質に迫る身体の動きや躍動感をシンプルに大胆にかつ繊細に表現し、言語を超えて人々に正確に情報を伝えることこそが、実は日本らしさに通じるという発見に至った。

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