立花聡の「世界ビジネス見聞録」

2019年10月8日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

守銭奴から民主主義闘士に変身する

 権力を監視する機能を有している民主主義体制とそうでない独裁体制。前者が公益を守るうえでの「不本意」な措置だが、後者は独裁的権力を発動した結果として解釈されるからだ。分かりやすくいえば、同じ「実体」であっても、民主的「手続」を経ているか否かで大きく変わるのだ。

 「手続的正義」が民主主義の核心的価値所在である。実体の正義や正当性を論ずる前に、まずこの手続的正義が前提となる。独裁政権や独裁者がいつまでも軽蔑される理由も彼らがこの近代社会の本質を無視したところから見出される。

 中国本土の共産党政権は中国人民に飯を食わせたという「実体」(事実)をもって、非民主・独裁という「手続」の欠陥を補おうとする論理もそこに立脚している。その逆、トランプ大統領が米国の国益に有利な政策という「実体」をいくらやっても、やろうとしても、民主的「手続」という関門がまず立ちはだかっている。単なる合理性からいえば、独裁が民主主義より優位に立つことも多々ある。

 話を戻すが、香港は元々英国の植民地であって、自由が保障されていても民主はなかった。政治に興味がなく、金儲けに没頭してきた香港人はなぜ今になって、突然民主主義闘士に豹変したのか?

 植民地時代の香港は確かに英国から民主主義制度を恵んでもらえなかった。ただ宗主国が民主主義国家であったため、少なくともしかるべき「手続」によって「実体」における自由が保障されていた。そうした環境の下で、香港人には民主というタブーに触れるよりもむしろ、保障された自由を利用して経済的利益を追求したほうが賢明だった。民主がなくても、自由があればいいと香港人が考えたからだ。

 しかし、返還後の香港を見ていると、どうも様子が違う。民主も自由も両方なくなっているのではないかと香港人が気づき、ついに怒りを爆発させる。中国本土の人はそもそも最初から民主も自由も与えられていなかった。それに近年の経済成長によって昔の貧困時代と比べて生活が劇的に改善されたこともあって、そうした現状に満足する人が多かったのも事実である。近時の香港騒乱で香港人の挙動を理解できず、批判的な姿勢を取る本土系中国人が多いのもこれに由来する。

 「珍惜香港(香港を大切にしよう)」。――「覆面禁止法」の制定を発表する林鄭月娥行政長官の後ろに掲げられたスローガンはいささか説教調で、反逆児には逆効果しかないようにも思える。若年層をはじめとする香港人は自分たちが大切にされていると思っているのだろうか。

 逮捕されてもいい、撃たれてもいいと玉砕覚悟の人たちの心理を、北京当局も香港当局も理解していないようだ。あるいは理解していても、政治的に適切な対応ができないのかもしれない。実に残念なことだが、今このとき、いかなる抑圧的措置も機能しないだろうし、反発をエスカレートさせるのみだ。

  
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