明治の反知性主義が見た中国

2019年11月28日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

50代の終わりか60代の初めに昭和20年の敗戦を迎えた高校生たち

 大連の街を歩く。

 「殊に露人は退却に際して主要なる官衙に火を放」っていたから、日露戦争において日本軍が「占領したるときは大部は荒野の観」がしたそうだ。だが今や「一として我国力の発展を証せざるものなし」。そこで若者は、「従軍兵士の労苦を追想し感謝の涙」を流す。

 旅順戦役激戦の地を巡り、「露国の東洋に於ける行動は、天、人共に悪みし所、我軍が天祐を受けしは自然の事といひながら、十年の準備と完備せる組織と、日本人独特の愛国心なかりせば天祐は决して受け得ざりならしむ」と痛感する。

 アジアの新興国家である日本の日清戦争勝利は、やはり西欧列強に相当な危機感を与えた。そこでロシア・ドイツ・フランスが“難癖”を付けてきた。三国干渉である。

 多勢に無勢。日本は勝ち取った遼東半島の還付に泣く泣く応ぜざるをえなかった。他日を期して臥薪嘗胆の10年の後、日露戦争を勝ち抜いた。かくて「十年の準備と完備せる組織と、日本人独特の愛国心なかりせば天祐は决して受け得ざりならしむ」となる。

 やがて「一行は旅順を発して、奉天に向ふ」。「四隅馬糞累々たる有蓋貨車の中、臭気と暑気に悩まされ」ながら、「只だ茫々たる広野」を行く。千変万化する山紫水明の自然に包まれた日本の鉄道と違い、「山に翠黛の美なく、川に清流の趣なく、野は唯だ是高粱畝か道か『どこが河やら道さへ知れず』」という具合で、単調極まりない四囲の風景に飽きてきた。

 ここまで彼らの旅を追ってきて、ふと考えた。当時の彼らは10代の終わりから20代の初めだろうから30代、40代、50代と歳を重ねるごとに日本は大陸への関与を強め、欧米列強との摩擦はエスカレートし、50代の終わりか60代の初めに昭和20(1945)年の敗戦を迎えたことになろうか。

 彼らが満洲を歩いた2年後の明治41(1908)年末、在米の朝河貫一(当時エール大学教授。比較法制史)は『日本の禍機』(講談社学術文庫 1987年)を著し、日露戦争後の欧米における対日観の変化について、次のように筆を進め警鐘を鳴らした。

 「今日、我邦に対する世界の態度はいかん。(中略)戦役以後驚くべき速度にて世情あまねく変化したるを熟知す。惟うに欧米いずれの処に到るも、いかなる外人に接するも、その我に対する態度の戦前と同じからざるは、一瞬にして見ることを得べし」「一般の俗衆はただ漠然日本を疑い、または恐れ、または憎む者にして、(中略)日本は戦勝の余威を弄して次第に近隣を併呑し、ついには欧米の利害にも深き影響を及ぼすに至るべきがゆえんなりと」

 これに対し「多少東洋の近事に注目したる識者」は、「日本は戦前も戦後も反覆天下に揚言して、その東洋政策の根本これに外ならずと称したる二大原則に、己れ自ら背きつつある」と不快・不平・不満を募らせる。「二大原則とは清帝国の独立および領土保全、ならびに列国間の機会均等」を指すが、「さらば日本は何処にてこれに背けりやと問わば、(中略)満洲におい最もしかりと答えん」と記している。

 朝河の説いた欧米の動向――満洲独占に動く日本は許さず――を、はたして若者たちは意識していたのだろうか。

 やはり日露戦争を戦い抜いた日本にとって満洲は「二十億の国帑と十萬の英霊が眠る聖域」だった。であればこそ満州問題は日本の国益が最優先され、日清(=日中)関係の範疇で捉えて当然であり、欧米列強が口を差し挟む問題ではない。満洲の取り扱いに関し、日本が敢えて欧米列強に説明し、彼らの考えを忖度するまでもないという立場に立つ。これが当時の日本における共通認識だろう。

 これに対し欧米列強は日露戦争は日本とロシアの間の戦争ではあるが、満洲に関わる問題は飽くまでも門戸開放・機会均等の立場から利害関係を持つ各国の間で議論されるべきであり、日本による独占的処理は断固として容認できないという姿勢を崩さない。

 朝河が記した欧米列強の日本に対する態度を敷衍するなら、清国(=中国)に関わる問題は国際政治、いわば欧米列強に日本を加えた各国の利害を調整したうえで捉えるべきであり、長い交流の歴史という特殊事情を勘案したところで、日本一国の思惑や日清(=日中)の両国関係の枠組みで独占的に処理すべきではない、ということになろうか。

 21世紀初頭の現在、中国をめぐる問題は過去に較べ飛躍的に複雑になっている。それというのも、かつて発言権なく列強の行動を拱手傍観するしかなかった中国が国際政治の主要プレーヤーとして登場し、自己主張を全面に押し立てているからである。日中問題を飽くまでも日中関係の枠内で捉えようとする限り、我が国の立場を貫く国益を全うさせることは容易ではなく、費用対効果の面からも得策ではない。

 日中問題の過去・現在・未来を考えた時、やはり日本は日中関係という小状況から脱け出し、国際政治の大状況に立って考えるべきだ。そうしない限り、永遠に“歴史認識”の陥穽から抜け出せないだろう。

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