気仙沼の取材に動き回った、河北の丹野は取材拠点の総局のビルにたどりつく。階段を上がって、総局長の菊池道治を探す。菊池はデスクに向かって、紙に原稿を書いていた。
「俺は新聞記者失格だ。うかつに外に出て、津波に飲まれた。携帯もカメラも失った」
手書きの原稿は、丹野によって本社に運ばれ、翌日の社会面に載った。
「『支え合い』。現実感の乏しい地獄絵の世界で頼れるのは、そこに確かにいる身近な人だけだ」と。
菊池は、フェンスによじ登り、柱にしがみついて生き残った。老夫婦に着替えをもらい、おにぎりをもらった。
「情報が光だった」
日日の編集部門の現場を取り仕切るデスクの平井美智子は、取材のつかの間に避難所の父母を訪ねる。ひとつの毛布にくるまって、母と語り合う。壁新聞の発行を賞賛する母にこう答える。
「情報が光だったんだ」
放映からかなり時間が経つドラマを取り上げることに、読者が不思議がられるのは当然だろう。
ふたつのドラマは、録画のままハードディスクに眠っていたのである。
日日と河北の記者のような過酷な取材の経験はない。ただ、水害地で孤立した避難所まで、肩まで水につかりながらたどり着いたことはある。事件や事故で亡くなった遺体と取りすがる遺族を取材したことはある。
震災地の記者たちのつらさを思うとき、これまで「再生」できなかったのである。
日本テレビとテレビ東京に、再放送をお願いしたい。もっと多くのひとに観ていただきたい。(敬称略)
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