WEDGE3月号特集 「震災1年 被災地雇用の現実」第1部を無料で公開します。
「福島の再生なくして日本の再生はございません」
昨年9月の就任演説でこう強調し、12月には東京電力福島第一原発の冷温停止状態を宣言した野田佳彦首相。
だが、現場からは「国の方針が見えない」「雇用の受け皿がない」など、厳しい声ばかり聞こえてくる。
1月下旬、南相馬市を訪ねた。取材を通じて、原発就労補償が“生活保護化”する現実が広がりつつある実態が見えてきた。
飯舘村でトラック数十台とすれ違う
降り積もった雪が残るJR福島駅から車で南相馬市へ向かった。国道114号線から県道12号線を進み、しばらくすると、飯舘村に入る。原発から20キロ圏外だが、年間の積算放射線量が20ミリシーベルトとなる計画的避難区域で、全村避難を強いられている。人の気配はまったく感じられない。途中で寄った道の駅は、「臨時休業します」の張り紙が貼られたままだった。
だが、車はひっきりなしに往来し、ガレキを積んでいるわけでもない、何十台ものトラックとすれ違った。後で、海岸沿いの国道6号線が原発事故で不通となったため、南相馬市から南関東に向う工業製品などを乗せたトラックが迂回しているのだと聞いた。
また、「除染モデル事業実施中」の立て看板が目に付いた。日本原子力研究開発機構が公募し、大手ゼネコンを中心とする共同事業体(JV)が現在、除染作業を行っているためだ。
赤ちゃんが消えてスーパーも開かない
「震災以降、放射能汚染を恐れ、この町から、主婦と赤ちゃん、そして、子供たちが消えました」
南相馬市議会議員の奥村健郎さんは、ため息交じりにつぶやいた。
奥村さんによると、震災前には約7万3000人いた人口も今では約4万人に減少している。また、市内にある太田小学校は震災前、約130人もの児童がいたが、現在は50人近くまで減少しているという。
最大の課題は、除染をどう進めていくかということだ。除染なくして、復興はない。「20キロ圏内の警戒区域には200~300人の従業員を雇用する工場がいくつかありました。4月1日をメドに警戒区域を解除するとの方針が示されましたが、自由に出入りできるのか、できないのか、まったくわからず企業も困っているはずです」(同)。