2024年6月16日(日)

Wedge REPORT

2019年11月25日

「白人至上主義者」とホームラン王

 当時のジャイアンツで幅を利かせていたのは、もちろん主砲で3番のバリー・ボンズ。前年の2001年にMLB史上シーズン最多記録の71本塁打を放ったスーパースラッガーは王様となっており、自身のロッカー前にはボンズ専用の巨大テレビとソファが設置され、容易には誰も近づけない存在になっていた。

 このボンズに真っ向から反発したのが同じクリーンアップに座っていた4番のジェフ・ケントである。米メディアで「白人至上主義者」と報じられたこともあり、黒人選手のボンズと犬猿の仲だったのは当時を知るジャイアンツ関係者ならば誰もが知るエピソードだ。2人は幾度か乱闘騒ぎまで起こしている。そして、この両者の争いに新庄氏は意図しない形で巻き込まれてしまっていた。

 ケントは一部の白人のチームメートと徒党を組み、他の黒人選手やラテン系選手同様に有色人種の新庄氏を明らかに煙たがった。その新庄氏の取材目的で大挙して現地に赴いていた日本人メディアに対しても露骨に嫌悪感を露にしていたほどだった。当時の状況を詳細に知る日本人のMLB球団スタッフは、こう打ち明ける。

 「この時代、ケントは日本人記者が自分の囲み取材に加わると『新庄なんかを取材するジャパニーズは全員出ていけ』と暴言を吐くなど、とにかく態度が酷かった。メッツではとにかく陽気で楽しく野球をやっていた新庄さんが、サンフランシスコでは明らかに〝別人〟になっていた。新庄さんはケントから相手にされないどころか、嫌がらせを受けたりもしたようです。

 それでも腐ることなく野球に集中し、献身的にプレーし続けていたのが新庄さんの凄いところ。〝こういう文化もあるんだ〟と言い聞かせ、すべてを何とか前向きに受け入れようとしていた。そういう新庄さんの人間性を高く評価したのが、同じ有色人種のボンズだった。そのボンズを筆頭に他の黒人選手やラテン系選手、そしてケントを『レイシスト』と批判して反発する一部の白人選手が加わって〝ボンズ派〟となり、新庄さんもそこに組み込まれる格好となった。

 ただ、それによって〝ケント派〟との対立が一層深まってしまいましたよね。そんな状況下で新庄さんは我慢してプレーし、チームもワールドシリーズ進出を果たせたのだから逆に凄いと思います。ただ、この2002年シーズンは新庄さんにとって本当に過酷で辛い時代だった。本人の性格上、そんなことはまず口にしないでしょうが…」


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