Wedge REPORT

2019年11月25日

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 球界が〝SHINJOの謎かけ〟に揺れ動いている。自身のインスタグラムで現役復帰宣言した元プロ野球選手の新庄剛志氏だ。2006年を最後に北海道日本ハムファイターズで日米通算16年間の現役生活にピリオドを打ったが、48歳となる来年にトライアウトを受験して復帰を目指すという。すでに大きな反響を呼んでおり、日本球界内でも有識者やOBたちの間で賛否両論の意見に分かれている。

 しかし本人は広がる波紋など、どこ吹く風だ。一部には「単に注目されたいからではないのか」などと冷ややかな見方もあるとはいえ、案外多くの人たちが新庄氏の挑戦に真剣さを感じ取っているようだ。

2002年、SFジャイアンツ時代、バリー・ボンズとハイタッチを交わす新庄(AP/AFLO)

 新庄氏は現役時代から「サプライズ」がトレードマークだった。プロ生活をスタートさせた阪神タイガースでは誰もが認める実力とルックスを兼ね備えて一躍、人気スターへと急成長。その一方で1995年オフに「野球に対するセンスがないって見切った」と突然口にした引退宣言騒動など突飛な言動も目立ち、これが徐々に新庄氏独自のカラー形成につながっていった。そして、こうした数々の破天荒な振る舞いも実は本人なりに熟考した末の計算に基づく行為であったことが後に明らかになっている。

 決して単なる思い付きだけで突っ走るような破滅型のタイプではない。どのような道に進めば自分の真価が発揮でき、かつ世間に大きなインパクトを与えられるか。新庄氏は、その答えを見つけ出すことのできる〝自分プロデュース〟の天才であり〝千里眼〟の持ち主だ。しかも決して唯我独尊ではなく、周囲を人一倍気遣いながらフォローするフォア・ザ・チームの精神も何気に忘れていない。新庄氏の真骨頂はそこにある。だから筆者も多くの人たちと同じく、アラフィフの現役復帰宣言を単なるお笑い草とは思えない。

 そんな新庄氏の礎を築き上げたのは、やはりメジャーリーグ挑戦だ。2000年オフにFA宣言し、国内球団の移籍が有力と見られていた中、メジャーリーグのニューヨーク・メッツへ移籍。数々の破格待遇を蹴って、当時メジャー選手最低補償額の条件で海を渡る決意をした選択には「無謀」との厳しい指摘も多々出ていた。

 だが、ニューヨークでは大方の見解を覆す活躍を見せ「SHINJO」の名を異国の地で轟かせた。阪神時代から人知れずメジャー移籍願望を持ち続け、目の前の大金よりも夢を実現させた「サプライズ」でも多くの人のハートをつかみ、メジャー1年目の成功によってスーパースターへの階段をかけ上がった。

「ニューヨークの次に好きな都市がサンフランシスコ」

 しかしながら順風満帆にいくかと思われたメジャーリーグでは自身にとって〝黒歴史〟とも言える辛い境遇も味わっている。2年目のサンフランシスコ・ジャイアンツに在籍した2002年のシーズンだ。前年オフにメッツからのトレード移籍が決まると新庄氏は「ニューヨークの次に好きな都市がサンフランシスコ」とコメントし、新天地でプレーすることを喜んでいたが、待ち受けていた現実は想像と大きく違っていた。

 オープンな雰囲気でチーム内に自由な空気が漂っていたメッツとは違い、この頃のジャイアンツのムードは明らかに重くどんよりとしていた。チームは強かったが、主力選手たちが火花を散らし合って丁々発止になっていたのだ。

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